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2007年 05月 19日
動物はすべてを知っている Vol.6
動物はすべてを知っている Kinship with All Life
SB文庫
著者 J.アレン・ブーン
訳者 上野圭一
発行 ソフトバンクパブリッシング(株)ソフトバンククリエイティブ株式会社
2005年6月18日初版発行
(※本書は1998年4月 講談社より刊行された『ヒトはイヌとハエにきけ』を改題し、文庫化したものです。) 

P140~
幸福のための動物園

P141~
 1948年の夏まで、カリフォルニア州ロングビーチからほど近い「幸福のための動物園」で、ヘビ展示館の館長をつとめていた人である。爬虫類学者としての長い経歴を持つワイリー女史は、悪名高いヘビのあつかいにかけては世界一と言われていた。事実、女史は獰猛で毒性が強いヘビほどかわいいといっていた。
「幸福のための動物園」には、8メートルもある巨大なキングコブラをはじめとして、エジプトコブラ、クサリヘビ、アメリカマムシ、オーストラリアクロへビ、グリーンマンバ、タイガースネーク、フェルドランス、ヌママムシ、多様なガラガラヘビなど、知られているかぎりのヘビがほとんどそろっていた。
 人々は遠くからやってきては、その豪華なコレクションとワイリー女史の手さばきに目を見張った。女史の立ち会いのもとに、見学者が直接ヘビに手を触れることも許されていた。人々はまた女史の通訳を介して、ヘビのメッセージをきくこともできた。
 女史はもっとも危険とされる種類のヘビを優しく両腕に抱きながら、目を丸くしきき入っている見学者たちに、ヘビがいかにすぐれた哲学の教師であり、よき仲間であるかを説いていた。その解説はいつも、ヘビが本質的には乱暴者ではなく立派な紳士であり、人を襲うのは、人の悪意を感じとり、それを恐れるあまりなのだという結論で終わるのだった。
 小柄な女性が、ありとあらゆる種類の毒ヘビをなでながらやさしい声で語り、その結論にみちびいていく姿を見るのは不思議な体験だった。解説が行われる「慰撫室」は頑丈なつくりの部屋で、中央に置かれた長方形のテーブル以外にはなにもなく、がらんとしいた。女史がヘビをなだめているときは危険がともなうので見学者の入室は禁止されていたが、ドアのひとつにガラス窓があり、特別の許可を得た人はそこからのぞくことができる。




 そこからのぞいていると、やがて反対側のドアから、女史が音もなく入ってくるのが見える。テーブルの一端まで近づき、そこでぴたっととまる。女史はまるでテーブルの一部になったかのように、じっとして動かない。
・・・中略・・・・
 ワイリー女史の目配せで箱の側板がはずされると、いよいよヘビ紳士のおでましである。
 なんというヘビだろう!
 体長はゆうに2メートル、妖美な模様をもち、力感にあふれている。ちかづいてくるだけで射すくめられそうだ。テキサスの奥地でのびのびと育ち、カリフォルニアに連れてこられたばかりの、ヒシモンガラガラヘビのあっぱれな紳士である。
 波打つような動きでテーブルを激しく2,3度たたいたかと思うと、ヘビは目にもとまらぬ早さでとぐろを巻き鎌首をもたげて防御もしくは攻撃の態勢に入る。テキサス生まれの大きな友人は、生存のためにはだれとでも一戦を交える覚悟をかためている。だが、困ったことに、戦うべき相手がどこにもいない。動く標的がみつからないのだ。敵の姿を探している鎌首は油断なく周囲にふり向けられ、尾は狂ったように警戒音を発しつづける。
 しかしなにも起こらない。動くものがない。
 ワイリー女史は、なぜ棒を使ってなにかしないのか? あれほど騒ぎたてているヘビは、なぜ女史に向かって軽いジャブだけでもくりださないのか?
 じつは、ヒベが箱から這いだしてきた瞬間から、女史は決め手ともいえる「何か」をしつづけているのだが、こころのなかだけでしていることなので、見学者にはわからないのだ。
 そこで起こっていたのは、ひとりの女性とヘビとの、目にみえる対決だけではなかった。それどころか、はじめて出会ったふたつのみえない個性、ふたつのこころの状態、遠く離れて生まれ育った親戚同士が、たがいに探りあいながら接近し、ともに「大いなる計画」「大いなる生命の目的」のなかでは血縁関係にあることを発見しかかっている重大な場面だったのである。
 はじめて対面した瞬間から、女史は無言のうちにヘビに話しかけていた。みた目ではまったくなにもしていないように思われたが、そのじつ、あらゆる異種間コミュニケーションにつうじる法則の有効性とみずからの信条とを、あざやかに証明してみせているところだった。形態、分類、評判のいかんを問わず、すべての生き物はかならず純粋な関心、敬意、好意的評価、賞賛、親愛の情、やさしさ、礼儀正しさにこたえるという、確固たる信条である。その巨大なガラガラヘビは、そうした愛にあふれる感情をシャワーのように浴びて、おそらくは生まれてはじめての経験にとまどっていたのだろう。
 もし、その沈黙の万能言語にこころの耳をかたむけ、意識の波長を合わせることができたら、ワイリー女史がヘビに向かってとつとつと語りかける、やさしいことばをのこらずきくことができたはずである。「下等生物」に対する命令口調のことばではなく、仲間として、おなじいのちの表現者同士として、水平の関係で語られることばが聞こえたはずである。そして、女史のやさしいことばのなかに、ヘビの数多くの美点をほめ讃えることば、恐れることはないというはげましのことば、ここが新しいすみかであり、ここなら愛され慈しまれるという説得のことばを、何度も何度もきくことができたはずである。
 ワイリー女史はそれらの気持ちを、ほんのわずかなしぐさも声もなく、すべてヘビに伝え終えたのである。
 やがて、ヘビのようすにはっきりとした変化があらわれる。激しく鳴らしていた尾の警戒音が静まってくる。せわしなく、あちこちにすばやく向けられていた鎌首が、ワイリー女史の方向に向いてぴたっととまった。壁のように静止した白人女性と、背後の壁との区別もはっきりとはつかなかったが、ヘビは女史の存在を感じていた。かんじていたどころか、テキサスの「殺し屋」はその方向から送られてくる友好的な想念に応答していた。
 女史は励ますような口調で話しつづけた。だが、いつのまにか無言ではなく、つぶやくような小声でおだやかに話しはじめていた。
 「慰撫室」のショーは大団円を迎えようとしていた。巨大なヘビがゆっくりととぐろを解き、警戒しながらもテーブル一杯にからだをのばし、ついにはワイリー女史のすぐそばまできて、その首をおろした。そのときはじめて、女史が動きだした。最初はなで棒で、そっとヘビの背中を愛撫した。抵抗しないとわかると、次に両の素手で愛撫した。
 すると、信じられないことが起こった。ヘビがまるでネコのように身をくねらせ、長いからだをよじりながら近づいて、女史のやさしい愛撫をもっと受けたいという意思表示をはじめたのである。
 その瞬間、「いまわしい毒蛇」は「幸福のための動物園」の有力なメンバーに早変わりした。
 ワイリー女史はまたしても、すべての生き物は外観にかかわりなく「善」を秘めていて、敬意、共感、やさしさ、そして愛をこめた対応によってそれを表現したがっているという事実を証明してくれたのである。

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by sadomago | 2007-05-19 14:55 | 生態系


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