2006年 10月 11日
シュタイナー死者の書 2006年8月10日 第1刷発行 著者:ルドルフ・シュタイナー(1914年ウィーン連続講義) 訳者:高橋 巌 筑摩書房 筑摩学芸文庫 本書は1989年9月30日 イザラ書房から刊行された『ルドルフ・シュタイナー選集』第十巻『死者の生活を改題・改訂したものです。』 第2部第一講 P91~ ・霊視した人間形姿 この人間の姿は、なんと変わってしまっていることでしょう。私たちが今そこに見るものが私たち自身であることはわかっています。以前は皮膚に包まれ、血液が到るところに通っていた自分です。――しかし、そこにあるものはすっかり変化しています。眼であったものは、まるで二つの太陽のように輝いています。光の輝きに打ち震えるこの内なる太陽はピカピカと輝いてはまた暗くなりながら、四方に光を放射しています。変化した自分の両眼はそのように見えます。両耳は輝きを発し始めます。肉体としての耳は見えなくなりますが、輝きが感じ取れるのです。皮膚全体は一種の光線のように輝いています。しかしその光線は見えるというよりは、むしろ感じ取れるのです。このように、人間の姿は輝き、響き、磁気的、電気的なものとなり、光線を周囲に放射するものとなって現れます。しかし、このような言い方は物質界から取り出されたものだけに、完全にぴったりしているとは言えません。 そのような宇宙が私たちの前に立っています。見霊体験の始まりにおける私たちの宇宙はこのようなものなのです。つまりその宇宙は光り輝く人間なのであり、その皮膚は感じ取れる輝きとして現れ、その眼は見ることができ、その耳は輝くことができるのです。私たちが自分の肉体を体の外から、霊の視点から見ますと、そのように見えるのです。 このように体の外で、私たちが思考的な活動をしますと――とはいえ、それは通常の思考とは異なり、魂の奥深くにひそむ内なる創造的な力の現われなのですが――この光り輝く存在の内部がもっとよく見えてきます。そこには一種の力の渦のようなものが、この輝く形姿を貫いて流れているのです。そして、この私たちの光輝体の中に見えているその含有物は、外から見た私たちの思考のいとなみなのです。それは、私たちのエーテル体の一部分なのです。私たちはエーテル体の織り成す思考のいとなみを見ているのです。それは暗い波の還流のようにも、霊的な血液循環のようにも見えます。光輝体におけるこの暗い波は、体全体に独特の外観を与えています。私たちの肉体の中には、エーテル体が波打ち流れています。それを今、私たちは外から見ているのです。 このようにして、体の外にあって、肉体とエーテル体がどのように見えるかを知るのです。 ・人間の霊的背景 P92~ しかし内なる認識の道は、さらに先へ進むことができます。今述べたことだけしか見えなければ、私たちは霊界の中で偏った存在になってしまうでしょう。外界の印象を受け取りながら、その印象を感情で把握することのできない、無感動な存在になってしまうでしょう。私たちは感情を霊界においても、身体から離脱した後でも、内的に目覚めさせることができなければなりません。しかしそれは人間的な感情とはまったく同じものではありません。なぜなら人間的な感情は肉体の内部においてしか体験できませんから。しかし、霊界にもそのような感情に対応するものがあります。 地上界での私たちは、空間の中にあって、時間の流れに従って生きていました。しかし今、身体の外で、感情に対応する内的な魂の在り方が目覚めますと、魂は新しい種類の知覚を得て、すべてのものの光り輝く姿を見るのです。その結果、空間と時間の中に拡がっている自分を感じるだけではなく、この空間と時間の内面を生きている存在たちをも知覚するのです。以前、身体諸器官を通して外界の中に見てきたものを見るのではなく、その外界の内面で、その外界を貫き流れている霊的なものを体験するのです。以前は自分の外に拡がる空間を感じていただけだったのですが、今や数え切れない星々はすべてが運行しています。そして、その星々に私たち自身も属しているのです。私たちはこのとき、アストラル体の中の自分を体験しているのです。これまではただ自分を感じるだけだったのですが、肉体の外でアストラル体を体験するときはアストラル体がこのような内容を伴って現れるのです。 アストラル体は、以前は自分の一部分だったのに、今は一種の外界となって、つまりエーテル体の暗い思考還流を伴う光輝体となって現れます。そのとき、身体を離脱した私たちがアストラル体の星のいとなみに集中したとき、肉体が別な姿をとって現れます。 私たちが振り返って、自分自身に意識を集中することができますと、そこに自分の光り輝くアストラル体と自分の思考のエーテル体とを見るのですが、しかし私たちがさらに内的集中力を深めて、内的な星の世界が現れるようになるまでに離脱した元の肉体に意識を集中しますと、その輝きが消え、思考の渦もその動きをやめ、そして、その場所に私たち自身の本性の像――他の表現が見つからないのですが――、私たち自身の人格化されたカルマ像が出現するのです。私たちが内部に担っているカルマ、それによってさまざまの運命を作り出してきた私たちのカルマ、私たちの運命が人の姿をとって眼の前に現れるのです。それを見るとき、私たちはこれが自分の姿だ、しかも自分の道徳的な本性の姿だ、と悟ります。この現世で個人として生きている私たちと同じように、この姿もまったく私たち自身なのです。 ここで別な意識が現れてきます。ここで表れる意識は、非常に心を重くするもので、つまり私たちがこのまったく人格化された運命を眺めるとき、この運命が自分の身体、自分の地上的人間とのきわめて密接な関連の下に現れます。そして私たちの身体の筋肉は、私たちのこの運命、このカルマが作ったのだ、と思い知らされ、そして、現象と真実との間の乖離をあらためて納得させられるのです。 なぜなら、私たちは、筋肉組織がまさに肉によってできている、と信じておりましたが、この筋肉の姿は、結晶化されたカルマに他ならないのですら。人体の筋肉組織にもっとも微妙な化学成分に到るまで、結晶化されたカルマの現われなのです。ですから或る人が筋肉を動かして或る場所に赴き、その場所で不慮の災難に遭ったとすれば、それは筋肉の中の霊的な力が働き、それが当の不幸な事件が生じた場所へとその人を駆り立てたからに他ならないのです。宇宙の摂理が、私たちの運命を筋肉組織の中に組み込みました。この筋肉系の中には、霊が生きて働き、この地上界のための作業を行っているのです。私たちははっきりと意識してはいませんが、それは私たちをいたるところでカルマに従わせ、行かざるをえない場所に行かせているのです。 内的な力がさらに強まり、身体から離脱した私たちが私たちの内部をさらに深く体験するようになりますと、地上界の意志衝動に相当するものが現われてきます。この意志の働きが内面に――しかし身体の外で――現れますと、その人は自分が惑星系の中にいるだけでなく、太陽の中にいるかのように感じます。その人は、惑星系の太陽とひとつになったのを感じます。自分のアストラル体を内的に体験する人は、惑星系の惑星たちとひとつになったのを感じます。そして自分の自我を体の外で体験する人は、惑星たちの中心に位置している太陽とひとつになったのを感じるのです。 Vol.2 へ
by sadomago
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