2006年 01月 28日
量子のからみあう宇宙 天才物理学者を悩ませた素粒子の奔放な振る舞い 2004年8月20目初版印刷 2004年8月31目初版発行 著者:アミール・D・アクゼル 訳者:水谷淳 発行:早川書房 はじめに 「世界は、われわれが想像している以上に奇妙なだけではなく、われわれが想像できうる以上に奇妙ではないのか」 ――J・B・S・ホールデン 一九七二年秋、私はカリフォルニア大学バークレー校の学部生として数学と物理学を勉強していた。そのとき私は幸運にも、量子力学の開拓者の一人、ウェルナー・ハイゼンベルクが大学で行なった特別講義に出席できた。ナチスの政策に反対して多くの科学者がドイツを去ったときにも、ハイゼンベルクは国内に留まってヒトラーの原爆開発に手を貨すことになったので、私は今では彼の歴史的役割については留保をせざるを得ない。それでも彼の講義は、良い意味で私の人生に大きな影響を与えた。私を量子力学の深い理解へと導き、自然界の探求における量子力学の意義を教えてくれたからだ。 量子力学はあらゆる科学のなかで最も奇妙な分野だ。われわれの日常経験は、微小の世界(超伝導体などのマクロな系も含まれる)を支配する理論である量子論には通用しない。「量子」という言葉は、非常に小さなエネルギーのかたまりを意味している。量子を扱う理論である量子力学は、物質の基本的な構成要素、すなわち宇宙のすべてのものを形作る粒子を扱う学問分野である。そうした粒子には、原子、分子、中性子、陽子、電子、クオーク、そして光の基本単位である光子が含まれる。こうした物体(もし物体と呼べるのなら)はすべて、肉眼では到底見ることができない。この大きさになると、われわれにお馴染みの法則は突然成り立たなくなる。いったんこの奇妙な微小の世界に足を踏み入れると、われわれは不思議の国のアリスに負けず劣らず不可解で異様な経験をすることになる。この不思議な量子の世界では、粒子は波で、波は粒子である。したがって光は、空間中で波打つ電磁波であるとともに、観測者に向かって飛んでくる微小な粒子の流れでもある。量子力学的な実験や現象のなかには、光の波としての性質を示すものと、粒子としての性質を示すものがある。光が同時に両方の性質を示すことはない。しかしわれわれが観測するまでは、光は波であり、かつ粒子の流れでもある。 量子の世界ではすべてがあいまいだ。光も電子も原子もクオークも、われわれの扱うすべての存在はどれも漠然とした性質を持っている。量子力学を支配するのは、「不確定性原理」である。この原理によれば、ほとんどの物は正確に見たり感じたりはできず、確率と偶然に包まれたあいまいな形でしか知ることはできない。物事の結果は元来統計的な性質を持ち、それは確率という形でしか予測できない。つまり粒子の正確な位置は予測できず、粒子が最も存在しそうな場所しか予測できないのだ。まか、粒子の位置と運動量の両方を高い精度で求めることもできない。そして量子の世界に広がるこのあいまいさは、決して取り除くことができない。量子論の限界を超えて物事を正確に知るための「隠れた変数」は、現実には存在しない。不確定性、不明瞭さ、確率、ばらつきは、決してなくすことができない。これらの謎に満ち曖昧模糊とした性質は、この不思議の世界とは切っても切り離せないものなのだ。 さらに不可解なのは、複数の量子系の状態が「重なり合う」という現象である。電子(負の電荷を持つ素粒子)や光子(光の量子)は、二つ以上の状態が重なり合った形になりうる。したがって、量子の世界では、「ここにあるか、あるいはそこにある」と言う代わりに、「ここにあり、かつそこにある」と言うことになる。二つの穴の開いた壁に光を当てると、光子はどちらかの穴を通るのではなく、両方の穴を同時に通り技ける。原子核の周りを回る電子は、同時にたくさんの位置に存在できる。 しかし量子の奇妙な世界で最も不可解なのは、「量子の絡み合い」と呼ばれる現象である。二つの粒子がお互いに何万キロ、何億キロ離れていても、それらは謎めいた形でつながりあっている。片方の粒子に何かが起こると、瞬間的にもう一方の粒子も変化するのだ。 私が三〇年前のハイゼンベルクの講義から学んだのは、われわれは経験や常識から得た先入観を捨てて、数学を頼りにしていかなければならないということだ。電子はわれわれとは別の世界に住んでいる。それは数学者が「ヒルベルト空間」と呼ぶ世界であり、他の微小粒子や光子もその中に存在する。ヒルベルト空間は数学者が物理学とは無関係に作り出したものだが、それはわれわれの経験が用をなさない量子の世界の謎めいた法則を、うまく説明してくれるように思える。そこで物理学者が量子系を扱うときには、実験や現象の結果を予測するのにこの数学理論を活用する。物理学者でさえ、原子の内部、あるいは光や粒子の流れの中で何か起こるかを直感的に知ることはできないからだ。量子論はわれわれの持つ科学という概念に疑問を投げかける。というのも、われわが微小の世界の奇妙な振る舞いを真に「理解」するのは、不可能だからだ。そしてまた量子論は、現実とは何かという問いを突きつけてくる。遠く離れていても協調して振る舞うような、「絡み合った」実体の存在する世界で、「現実」という言葉はどういう意味を持つのか? ヒルベルト空間、抽象代数、確率論が、量子現象を取り扱うための数学的道具である。これらの道具を使ってわれわれは、実験結果を驚くほど正確に「予測」できる。しかし、そこに隠された渦程を「理解」することはできない。量子系というブラックボックスの中で実際何が起こっているのかを理解するのは、人間の能力では不可能なことなのかもしれない。量子力学に対する一つの解釈によれば、われわれはこのブラックボックスを使って結果を子測することしかでぎない。そしてその予測は、本質的に統計という形でしか得られない。 そこで次のように考えたくなる。「実際何か起こっているかを理解するのに役立たないということは、この理論は単純に『不完全』なのだろう。何かが欠けているはずだ。何か変数が欠けていて、それを式に加えればわれわれの知識が完成し、すべてを理解できるようになるはずだ」二〇世紀最大の科学者、アルバート・アインシュタインもそう考え、当時生まれたての量子論に挑戦を挑んだ。相対論によって時間空間に対する見方を大きく変えたアインシュタインは、量子力学は統計則としては立派だが、現実の物理を完全に説明するものではないと主張した。彼は、「神はサイコロ遊びはしない」という有名な言葉を残した。これは、量子論をさらに掘り下げればより基本的で確率によらない法則が存在するはずだという、彼の信念を表している。彼は一九三五年、仲間のポドルスキーやローゼンとともに、量子物理学は不完全だとする挑戦状を叩きつけた。この三人の科学者は、量子系に対する数学的考察に「量子絡み合い」という現象が導かれるという事実を、この主張の根拠とした。 一九七二年のバークレーでの講義でハイゼンベルクは、量子論を「行列力学」として記述する方法を開発した経緯を説明した。これは彼の量子論に対する二大貢献の一つだ。もう一つは不確定性原理である。ハイゼンベルク曰く、一九二五年に行列を用いた方法の開発を始めたときには、彼は行列の掛け算(数学における基本的な演算)の仕方さえも知らなかった。しかし彼はそれを独学で学び、それが彼の理論へとつながっていった。数学が科学者に量子世界の法則を与えたのだ。そして数学はまた、シュレーディンガーにもう一つのより単純な方法、波動方程式を与えた。 私は何年にもわたって、量子論の発展を事細かに追いつづけてきた。私はこれまでの著書で、数学や物理学の謎を取り扱ってきた。『天才数学者たちが挑んだ最大の難問』では、大昔に出された「フェルマーの最終定理」という問題に対する驚くべき証明の物語を取りあげ、『相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学』では、アインシュタインの宇宙定数と宇宙の膨張について語り、『「無限」に魅入られた天才数学者たち』では、無限を理解しようとする人間たちの取り組みについて記した。しかし私はそのあいだもずっと、量子の謎について語りたいと思ってきた。最近《ニューヨーク・タイムズ》に掲載されたある記事が、私にそのきっかけを与えてくれた。その記事には、アルバート・アインシュタインと二人の仲間が、「量子の絡み合い」という「ありえない」現象の存在を許す理論は不完全なはずだとして、量子力学に挑戦を挑んだことが記されていた。 七〇年前アインシュタインと仲間の科学者は、微小の世界を記述する量子力学はあまりに不可解であり、それは誤った理論だということを証明する方法を考えた。アインシュタインは、もし量子力学を信じれば、一つの粒子を測定することで遠く離れた別の粒子の性質が瞬間的に変わりうるということを示した。「量子の絡み合い」と呼ばれるこの遠隔作用は、あまりにばかげたもので自然界では起こらないはずだと、彼は考えた。そして、「絡み合い」が起こるとしたらどんな奇妙な結果がもたらされるかを示す思考実験を、自らの主張のための武器として使った。しかし、《フィジカル・レビュー・レターズ》にまもなく掲載される三篇の論文に記された実験は、アインシュタインがいかに大敗北を喫したかを表している。「絡み合い」が実際に起こることは以前から知られていたが、今回の実験によれば、絶対に破られない暗号を作るために「絡み合い」を利用できるかもしれないということだ。 アルバート・アインシュタインの人生と業績に関する私の調査からわかるように、彼は自分で間違っていたと思った(宇宙定数に関する主張)のときでさえ、実は正しかった。そしてアインシュタインは、量子力学の開発者の一人だった。《タイム》誌に遠まわしに述べられているように、アインシュタインの一九三五年の論文は、間違いであるどころか、実際は二〇世紀物理学における最も重要な発見、つまり実験による「量子の絡み合い」発見のきっかけの一つだった。本書は、量子論 において最も奇妙な現象である「絡み合い」を追い求めた人間たちの物語である。 ある特別な方法で結び合わされて生成した複数の粒子や光子は、お互いに「絡み合った」存在となる。たとえば、原子の中の電子がエネルギー準位(原子中の電子の軌道に相当する)を二段階遷移すると、そこから生成した二つの光子はお互いに「絡み合う」ことになる。どちらの光子も決まった方向に飛んでいくわけではないが、この二つの光子は必ずお互いに反対側に飛んでいく。そしてこのようにつながりを持って生成した光子や粒子は、お互いに「絡み合う」ことになる。一方が変化すると、もう一方が宇宙のどこにあろうとも、それは「瞬間的に」変化する。 一九三五年、アインシュタインとその仲間のポドルスキーとローゼンは、量子力学の法則に従って振る舞う二つの粒子からなる系について考えた。そしてこの系は「絡み合い」の状態にあることを見出した。お互い離れた粒子が絡み合うという現象を理論的に導いた三人は、もし量子力学がそのような奇妙な現象の存在を認めるならば、その理論には何か間違い、あるいは「不完全」なところがあるはずだと論じた。 一九五七年、物理学者のデヴィッド・ボームとヤキール・アハラノフは、その約一〇年前にC・S・ウーとI・シャクノフによって行なわれた実験の結果を解析し、お互いに離れた系どうしの「絡み合い」が実際に自然界に存在するらしいという手掛かりを初めて得た。そして十九七二年にアメリカ人物理学者のジョン・クローザーとスチュアート・フリードマンは、実際に「量子の絡み合い」が存在するという証拠をつかんだ。そして数年後、フランス人物理学者アラン・アスペらは、この現象の存在を示す、完全に信頼できる証拠を発見した。どちらのグループも、ジュネーブで研究していたアイルランド人物理学者、ジョン・S・ベルによる独創的な理論的研究をよりどころとした。そして彼らは、アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンの思考実験は量子力学の不完全性を暴くためのばかげた考えではなく、現実の現象を記述するものだということを証明しようとした。この現象が実在するという事実は、量子力学の正しさを証明するものであり、そして現実に対する従来の幅の狭い見方を否定するものである。
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