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2005年 11月 03日
絵本「悲しい本」SADBOOK
あかね・新えほんシリーズ21 『悲しい本』 SAD BOOK
作者:マイケル・ローゼン
画家:クェンティン・ブレイク
訳者:谷川俊太郎
株式会社あかね書房

2004年12月初版 
2005年8月第5刷


 悲しみという感情を知らない人はいないだろう。人はさまざまな悲しみを経験する。すぐ忘れてしまえるような小さな悲しみ、その人の一生を決定するような深い悲しみ、苦しい悲しみ、甘い悲しみ・・・・・悲しみが人を死に追いやることがある、悲しみが人をより生き生きと生かすこともある。

 だがどんな悲しみにもましてつらいのは、愛する者を失った悲しみだろう。作者のマイケル・ローゼンは最愛の息子を失ったひとりの男(ローゼン自身かもしれない)の、どうにもならない悲しみを、悲しみに溺れない詩人の目でみつめる。そしてそういうひとりの男の姿を、クェンティン・ブレイクは共感とともにユーモラスに描きだす。

 ローゼンが言うように、悲しみは「私の悲しみ」であり「ほかの誰か」が必要になってくる。その、ほかの誰かは悲しむ私に共感してくれる誰か、悲しむ私を愛してくれる誰かであるとともに、新しく誕生する生命そのものだ。ロウソクの光は、悲しみの闇にひそむ明日へとむかう道を照らしだす。 :谷川俊太郎




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これは悲しんでいる私だ。
この絵では、幸せそうに見えるかもしれない。
じつは、悲しいのだが、幸せそうなふりをしているのだ。
悲しく見えると、ひとに好かれないのではないかと思って
そうしているのだ。

悲しみが大きいときがある。
どこもかしこも悲しい。からだじゅうが、悲しい。

そんなときは、こんな顔だ。
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どうすることっもできない。
息子のエディのことを考えるときが
いちばん悲しい。エディは死んだ。私は彼を愛していた、
とてもとても深く。でも、彼は死んでしまった。

ときには、ほんとうに腹がたつ。
私はひとりごとを言う、「よくも、そんなふうに死ねたもんだね?
私をここまで悲しませて。」

エディはなにも言わない、
もうここにはいないから。
・・・中略・・・・・
なぜ悲しいのか、理由がわからないときもある。
悲しみの雲がやってきて、すっぽりと私を包み込む。
エディがいなくなったせいではない。
ママがいなくなったせいでもない。ただそうなのだ。
・・・・中略・・・・・
悲しみとは何者か?
人をえらばない。
そいつはやってきて、きみを見つける。



私はかく:
悲しみはそこ
深くてくらい
ベッドの下の
からっぽのそこ
悲しみはそこ
高くてくらくらする
空のように
頭の上

深くてくらいと
こわくて行けない

高てくらくらすると
息が苦しい

ということは・・・ここにいたくないということ。
私は消えうせてしまいたい。



しかし、自分がいろいろなものを見つめているのに、気づくときがある。
窓べにいる人々・・・・
クレーンと
いっぱい人を乗せて通り過ぎて行く電車
そうして私は思い出す、
雨の中のママ。
通りを歩いて行くエディ、
笑って笑って笑いころげながら。
学芸会でおじいさんの役を演じるエディ。
ソファで、シュート合戦をする私とエディ。

そして誕生日・・・・・・
私の大好きな誕生日。
自分のだけじゃない・・・・
ほかの人のも。

誕生日おめでとう・・・に始まるなにもかも。
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そしてロウソク

ロウソクがなくてはね。
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by sadomago | 2005-11-03 22:14 | とりあえずノンジャンル


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