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2006年 10月 20日
動物はすべてを知っている Vol.2
動物はすべてを知っている Kinship with All Life
SB文庫
著者 J.アレン・ブーン
訳者 上野圭一
発行 ソフトバンクパブリッシング(株)ソフトバンククリエイティブ株式会社
2005年6月18日初版発行
(※本書は1998年4月 講談社より刊行された『ヒトはイヌとハエにきけ』を改題し、文庫化したものです。)

宇宙の教養課目
P88~
 そしてストロングハートとともに、「イヌがヒトを訓練する」実験を始めてしばらくすると、かれのこころはもちろんのこと、あらゆる生き物のこころがわかる境地に達するには、ただ頭蓋骨におさめられたふたつの眼球を使って、上瞼と下瞼のあいだから凝視するだけではこと足りないことを痛感し、眼球よりはるかに透み切った、鋭敏な 「 なにか 」 を使わなければならないとおもうようになった。
 いわばわたしは、感覚器官としての眼球に頼ることをやめ、洞察のための器官として、ある種の 「 想念 」 を使わなければならないところに追いこまれたのである。そしてその訓練は、当初にそう感じられたほど奇異なものではなかった。
 それには、賢者といわれる一部の男女がのこした、有史以来の長きにわたる有名な先例があった。おもしろいことに、かれらのほとんど全員が口をそろえてこういっているのだ。
 つまり、人間の五つの感覚器官は宇宙および宇宙に存在するさまざまな事象の「感触」らしきものは伝えるが、それらのありのままの姿を経験するためにはなんの役にも立たない。役に立たないどころか、美しい風景をピンぼけのレンズでながめたまま理解しようとしているように、感覚器官は現実像をゆがめている。肉現に映ったすべてのものの背後にある事実の真相、実相を探求した偉大なる精神の冒険家たちは、われわれに、宇宙はその構想において完全無欠であり、その目的において完全無欠であり、その運用において完全無欠であるといいのこしている。
 しかし、かれらはまた、「内部の目」に不備があり、その不備をあえて正そうとしない平均的な人間には、真の宇宙を理解し、経験することはできないとも指摘しているのである。

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by sadomago | 2006-10-20 13:14 | 生態系
2006年 10月 19日
動物はすべてを知っている Vol.1
動物はすべてを知っている Kinship with All Life
SB文庫
著者 J.アレン・ブーン
訳者 上野圭一
発行 ソフトバンクパブリッシング(株)ソフトバンククリエイティブ株式会社
2005年6月18日初版発行
(※本書は1998年4月 講談社より刊行された『ヒトはイヌとハエにきけ』を改題し、文庫化したものです。)

わくわくする発見
P70~
 わたしは失望したが、どこかでかすかな希望の光も感じていた。裏口のドアの隙間からストロングハートの尻尾が消えた瞬間、質問が失敗した理由にまつわる、ある心証を得たような気がしたのである。その心証は、だれかが耳元でささやいたように、私にこう告げていた。
 ストロングハートはおまえとみつめあいながら終始こころを伝えようとしていたのに、その沈黙のことばを理解するだけの力がおまえには欠けていた。だから、かれはやむなく実験を延期することにしたのだ。おまえにイヌとの理性的な交流をするだけの準備ができるようになるまで・・・・
<中略>
 冒険的かつ教育的な彼との共同生活がつづくにつれて、わたしはまた、こころときめくような発見をすることになった。すなわち、わたしがストロングハートにたいして「イヌあつかい」をしなくなればなるぶんだけ、かれもまた、少なくともわたしにたいするときは、「イヌのように」ふるまうことをしなくなる、という発見である。
 そして、そのわくわくするような発見が重なるにつれて、われわれはたがいに理性的な仲間として相手を受け入れるようになり、われわれの血縁関係をへだてていた壁がくずれはじめたのだった。

>>>イヌが「教え」ヒトが「学ぶ」
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by sadomago | 2006-10-19 13:38 | 生態系
2006年 10月 18日
シュタイナー死者の書 Vol.4
シュタイナー死者の書 
2006年8月10日 第1刷発行
著者:ルドルフ・シュタイナー(1914年ウィーン連続講義)
訳者:高橋 巌
筑摩書房 筑摩学芸文庫

本書は1989年9月30日 イザラ書房から刊行された『ルドルフ・シュタイナー選集』第十巻『死者の生活を改題・改訂したものです。』


第2部第二講
P105~
 この身体離脱によって、私たちは死から新しい誕生に到るまで遡ってきた領域に本当に参入するのです。私たちは時間を遡り、この地上生活以前の人生に到ります。その人生での私たちは、この地上生活に対しては次のように感じます。――「一体、そこでの私の未来はどのようなものなのだろうか。一体この後に何が現れるのだろうか」。
 この問いに答えるために、私は公開講演の中ではそれほど厳密には語れなかったいくつかの事柄について、もっと厳密にのべなければなりません。そうすることによって、私たちは死から誕生までの領域に、具体的に入っていくのです。
 私たちはこれまでに自分が辿ってきた霊的生活を辿ることによって、身体から離脱し、それと共に空間からも離脱しました。このようにして「今」から「昔」へ戻ることは、もうひとつの身体離脱よりもはるかに高次の能力を必要としますし、霊学研究者にとって、昨日述べた空間的身体離脱よりも無限に大きな意味を持っています。魂の深い内面性に関わる理解は、今述べた道の上でのみ可能だからです。そこで皆さんに、人生の微妙で内密な生活の背後にまで到るにはどうしたらよいかを知っていただくために、まずひとつのことをお話しておこうとおもいます。

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by sadomago | 2006-10-18 13:46 | シュタイナー
2006年 10月 13日
シュタイナー死者の書 Vol.3
シュタイナー死者の書 
2006年8月10日 第1刷発行
著者:ルドルフ・シュタイナー(1914年ウィーン連続講義)
訳者:高橋 巌
筑摩書房 筑摩学芸文庫

本書は1989年9月30日 イザラ書房から刊行された『ルドルフ・シュタイナー選集』第十巻『死者の生活を改題・改訂したものです。』


第2部第二講
P101~
・想起力による道

 昨日の課題は、思考、感情、意志、知覚のそれぞれを取り上げ、それらについて秘境的な立場から経験したことの内容をお伝えすることでした。そのような経験が、魂の内面の本質を知ろうとして、身体を離脱したときには与えられるのです。
 さて、今日の課題は、別な側面からこの同じ経験内容を語ることです。霊学の観点から見てもさまざまな側面から考察しなければ、人生の本当のところは理解できません。
 昨日述べたことを思い返してみましょう。昨日は身体を離脱した人間の魂が、自分の身体 ( およびそれに関連のある物質界 ) を振り返って眺めるときに見えるものや、身体を離脱した人間の魂、つまりアストラル体と自我が、霊的空間の中でますます力を強めていくときに体験するものについて述べました。けれどもこの同じ事柄を考察するのに、それとは異なる道もあるのです。存在の謎を解くには、事柄をさまざまな側面から考察する必要があるのですが、このもうひとつの道が、真の霊的考察には特別重要になるのです。
 昨日述べたのは、魂が身体から離れて霊的空間の中へ赴き、空間的に身体の外で生き始める道でした。しかし 「 身体離脱 」 には次の道もあるのです。それはこれまで以上に自分の内部に没入することで、自分から脱する道です。私たちは魂の内部の、霊的経験にもっとも似ている働きである記憶力の助けを借りて、霊界へ赴くことができます。何かを知覚し、思考し、感情を持ち、意志するだけでなく、それらの体験内容を記憶内容として保持することによって、私たちの内面生活を霊的なものに変えるのです。私は、今回の公開講演 (4月8日の公演のこと) で、フランスの哲学者のベルクソンのことに触れました。ベルクソンは、魂の中にある記憶内容を身体とは直接関係ない 「 魂の内面性 」、魂が生み出す純粋に霊的・魂的なものと見做(みな)さなければならない、と述べているのです。

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by sadomago | 2006-10-13 14:05 | シュタイナー
2006年 10月 13日
アルテルモンディアリズム
katolerのマーケティング言論
http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/

もうひとつのグローバル化、アルテルモンディアリズムという思潮
http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2006/10/post_5bc4.html

<一部抜粋>
・・・イニヤシオ・ラモネ氏の講演でも、グローバル化の問題を、特定の国家や勢力を悪玉に仕立て上げるのではなく、システムの問題としてとらえる視点が強調されていた。したがって、彼の標的は経済自体よりも金融システムであり、特定の国や資本家というよりも「IMF,世界銀行、OECD,WTO」といった世界の経済・貿易システムを司るグローバル団体・機構に向けられる。ラモネ氏は、これらを「悪のポーカー」と呼び、あらゆる国がこの4つの国際機構にポーカーゲームをするように弄ばれていると揶揄するのだが、別の言い方をすれば、それだけ敵は抽象的となり、見えにくくなっているともいえる。講演会の質疑応答で、聴衆から「グローバル経済を牛耳っているロスチャイルド家のような人脈」についてどのように考えるかという質問が投げかけられた際にも、ロスチャイルド家やユダヤ人のような特定の利益集団を取り上げて標的にするよりも、抽象度を上げて世界の問題をシステムとして考えることが必要であり、異議申し立ての手法、運動形態についても新しい状況に応じたものであるべきと語っていたのが印象的だった。・・・
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by sadomago | 2006-10-13 06:04 | とりあえずノンジャンル
2006年 10月 12日
シュタイナー死者の書 Vol.2
シュタイナー死者の書 
2006年8月10日 第1刷発行
著者:ルドルフ・シュタイナー(1914年ウィーン連続講義)
訳者:高橋 巌
筑摩書房 筑摩学芸文庫

本書は1989年9月30日 イザラ書房から刊行された『ルドルフ・シュタイナー選集』第十巻『死者の生活を改題・改訂したものです。』


第2部第一講
P95~
 さて、私たちは今、内なるものではなく、外なるものを振り返っています。なぜなら私たちが肉体の中にいる限りでの外なるものは、内なるものであり、肉体の中にいるときの内なるものは体の外にいる霊魂にとっては、外なるものなのですから。今、この外なる自分自身を振り返りますと、私たちにはこの肉体の成長と衰退が見えてきます。それは自分にとってのひとつの必然として見えてきます。物質界における自分の身体が成長し、そして衰退するのです。そしてこの肉体に成長を促したり、それを衰退させたりしているのが霊的存在なのだということを認め、そして物質界でのこの成長と衰退が肉体のどの部分でふたたび結晶化されるのかを知るようになります。この成長と衰退は、人間の骨格系と結びついているのです。人体には骨格が組み込まれているということの中に、人間が物質界で成長を遂げるときの形式が語られています。骨格系が人体内に形成されるときの形式によって、人間存在がどのように成長し衰退するかが決められているのです。自然が物質存在としての私たちの身体の物質的性質を硬化させて、骨格組織を生じさせるように働いていなかったとすれば、私たちの今日の姿は存在しなかったでしょう。こう言うと奇妙に聞こえるかもしれませんが、太陽存在として生きている支配的宇宙霊たちを、私たちは骨格系として敬うことができるのです。私たちは骨格系という人体の基礎設計が宇宙秩序の中にどのように描きこまれたのか、そして人体の諸器官どのようにそこにいわば取り付けられたのかを認識するようになるのです。

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by sadomago | 2006-10-12 13:12 | シュタイナー
2006年 10月 11日
アーミッシュ
Exciteニュース
http://www.excite.co.jp/News/
「私を撃って」と犠牲少女 アーミッシュに驚き [ 10月07日 20時45分 ]
http://www.excite.co.jp/News/world/
20061007204530/Kyodo_20061007a346010s20061007204530.html

 米東部ペンシルベニア州で2日、キリスト教の一派アーミッシュ運営の学校が襲撃された事件で、殺害された女児(13)が年下の子どもを逃がそうと「自分を先に撃ってください」と容疑者の男(32)=犯行後に自殺=に申し出ていたことが7日、生存者の証言で分かった。暴力を否定するアーミッシュの人々の独特な考え方を米メディアは驚きをもって伝えている。
 米メディアが住民らの話として伝えたところでは、この女児の妹(11)も自分を撃つように男に訴えたという。妹は撃たれて肩などを負傷した。
 事件後には、男の妻や3人の子どもが多くのアーミッシュの人々に抱擁される場面もあったほか、男の妻は犠牲者の葬儀に招かれたという。出席したかどうかは不明。
 児童に対する暴力の専門家はAP通信に、アーミッシュの許しの文化が生存者の癒やしにつながると指摘した上で、復讐(ふくしゅう)を求めるより許す方がはるかに大切だと語った。(共同)

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by sadomago | 2006-10-11 13:43 | とりあえずノンジャンル
2006年 10月 11日
シュタイナー死者の書 Vol.1
シュタイナー死者の書 
2006年8月10日 第1刷発行
著者:ルドルフ・シュタイナー(1914年ウィーン連続講義)
訳者:高橋 巌
筑摩書房 筑摩学芸文庫

本書は1989年9月30日 イザラ書房から刊行された『ルドルフ・シュタイナー選集』第十巻『死者の生活を改題・改訂したものです。』


第2部第一講
P91~
・霊視した人間形姿

 この人間の姿は、なんと変わってしまっていることでしょう。私たちが今そこに見るものが私たち自身であることはわかっています。以前は皮膚に包まれ、血液が到るところに通っていた自分です。――しかし、そこにあるものはすっかり変化しています。眼であったものは、まるで二つの太陽のように輝いています。光の輝きに打ち震えるこの内なる太陽はピカピカと輝いてはまた暗くなりながら、四方に光を放射しています。変化した自分の両眼はそのように見えます。両耳は輝きを発し始めます。肉体としての耳は見えなくなりますが、輝きが感じ取れるのです。皮膚全体は一種の光線のように輝いています。しかしその光線は見えるというよりは、むしろ感じ取れるのです。このように、人間の姿は輝き、響き、磁気的、電気的なものとなり、光線を周囲に放射するものとなって現れます。しかし、このような言い方は物質界から取り出されたものだけに、完全にぴったりしているとは言えません。
 そのような宇宙が私たちの前に立っています。見霊体験の始まりにおける私たちの宇宙はこのようなものなのです。つまりその宇宙は光り輝く人間なのであり、その皮膚は感じ取れる輝きとして現れ、その眼は見ることができ、その耳は輝くことができるのです。私たちが自分の肉体を体の外から、霊の視点から見ますと、そのように見えるのです。
 このように体の外で、私たちが思考的な活動をしますと――とはいえ、それは通常の思考とは異なり、魂の奥深くにひそむ内なる創造的な力の現われなのですが――この光り輝く存在の内部がもっとよく見えてきます。そこには一種の力の渦のようなものが、この輝く形姿を貫いて流れているのです。そして、この私たちの光輝体の中に見えているその含有物は、外から見た私たちの思考のいとなみなのです。それは、私たちのエーテル体の一部分なのです。私たちはエーテル体の織り成す思考のいとなみを見ているのです。それは暗い波の還流のようにも、霊的な血液循環のようにも見えます。光輝体におけるこの暗い波は、体全体に独特の外観を与えています。私たちの肉体の中には、エーテル体が波打ち流れています。それを今、私たちは外から見ているのです。
 このようにして、体の外にあって、肉体とエーテル体がどのように見えるかを知るのです。

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by sadomago | 2006-10-11 13:13 | シュタイナー