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2006年 05月 25日
はるあきら 安倍清明との対話Vol1
はるあきら
安倍清明との対話
著者:七浜 凪
発行:ナチュラルスピリット
2005年4月5日初版発行

P20 L10~
人と出会うことは学びなのだ。自分に足りないものを補うため、何かを得るため。だから、出会いに偶然などない。ちゃんと意味があるのだ」
「私は今回、何のまなびだったのんだろう」
「情についての学びであろうよ。相手の思いやりや情に自分も情で答えれば、答えは情によるものしか得られぬ。しかし、流すべきは情ではなく、真の己の姿である、言葉だ。
 ありのままの自分と向き合い、それを伝えることは、己の魂に近づくということぞ。おまえはずっと魂の学びをしているのだよ、かさね。いわば、魂の修行だ」

「わたしは、魂がなにだかよくわからないよ。私のなかにあるものでしょう?こうやって話している自分と魂は別物なの?」
「常識や知識を取り去ったところで、真の己の声を聞くのだ。おまえが私に反応するように、おまえは己の魂が反応しているのを知っている。魂はいつもそこにあり、存在をアピールしている。おまえはそれを感じ取っているけれども、それが魂の声だとは思っていない。私とのコミュニケーションはそれを感じ取る練習のようなものだ」

P21 L10~
「魂に忠実に生きるということは、情や外的なものに惑わされず、真の自分で在りつづけるということだ。居心地が悪いと感じる人間に会った時、その人間の魂は外側を覆われすぎてきっと窮屈なのだろう。弱い自分、イヤな自分、恐れを持つ自分、それらも含めて、魂はさらけ出してほしいのだ。人がすべてを認めてほしいと願うように
魂もすべてを受け入れてほしいのだ。自分が認めなければ、悪い部分だと自分が思い込んでいる妄想も消えはしない」

 
P23 L1~
「本当の気持ちを言うことは『愛』なのだよ、かさね。それが学ぶ相手に対する真の礼儀なのだ。相手がどんな状態でどんな学びをしていても、それをとやかく言う権利は私たちにはないのだ。おまえにできることは、偽りのない己を見せることしかない。それがおまえの魂の学びでもあるのだ」
「いつまでも、ありのままの私でいるつもりなんだけど」
「ならばなぜ情で迷う。触れたくないエネルギーを持つ相手とは接点をもたなければいい。向かってくるようなら断ればいい。それでも来るようなら徹底的に交わすのだ。それはおまえの考えているような『意地悪』でも『かわいそうな事』でもない。今回の発端は情ぞ。そのための痛みぞ。憎悪のエネルギーに触れて自分を振り返るのは大切なことだが、そんなエネルギーを受けていながら、相手も汲み、自分もおさまりがつくよう納得するなど、中身がまるで抜けている。痛みはどうした。イヤだと思う気持ちはどこに葬り去る。おまえが受けた痛みは自分で思っている以上に強いものだ。人の思いとは、それほどに重いものなのだ。ダメージを受けたことを否定してはならぬ。それは心の強さや弱さとは別ものぞ。魂の声を無視して外側で固めようとしても意味はないのだ。情は相手のことを思っているように見えて、実は自己満足であったり、自分自身がそれにがんじがらめになって互いの学びを遅らせることになりかねない。つまらない情で相手に手を差し伸べるなぞ、傲慢以外の何者でもない。みな、自分の足でたつのだ」
「そうか。相手が間違っているように見えたり、劣っているように見えるのは私の傲慢さか。きちんとおもっていることが言えたり、断ったりできるようでなくちゃ、私もダメなんだ。それも愛だっていうのは、なんだかちょっとステキな話だなぁ。『はるあきら』はクールなイメージで愛って感じじゃないね」
「イメージもしくは好みの問題だ。冷たく見える者で愛に溢れた存在はたくさんいる。
おまえはわからないかもしれないが、おまえの魂は私がおまえに愛を送りつづけることにちゃんと反応している。心配はいらぬ。さあ、今日はもう眠るのだ。長時間、頭ばかり開いていては、体のバランスが取れぬ」

 言葉にしなかったが、「はるあきら」はちゃんと感じ取っているだろう。そうだ、この「はるあきら」
を愛おしく思い、感謝でいっぱいになる気持ちは、私の魂が反応している証拠。ここに流れているのは、情ではなく愛なのだ。
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by sadomago | 2006-05-25 13:29 | 神との対話
2006年 05月 13日
ベイビーサインとは
ナチュラルハウスHPより


ベイビーサインとは
http://www.naturalhouse.co.jp/oli/babysign.html
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by sadomago | 2006-05-13 20:17 | とりあえずノンジャンル