カテゴリ:フィンドホーン( 8 )

2005年 10月 21日
フィンドホーンの魔法 Vol8
(Vol8) フィンドホーンの魔法
ポール・ホーケン
日本教文社 1995年7月1日 初版発行(原著執筆は1971年頃)
日本教文社 1981年出版 「フィンドホーンの奇跡」の復刻版

 しかし1966年に、また別の力が菜園にくわわって、三位一体の関孫を作り、今まで以上に生命の驚くべき成長と豊かさをもたらした。それは牧神が支配する「自然の精霊たちの世界であった。そしてそれはロックとも呼ばれるロバート・オーギルヴィー・クロンビーという人物が、その晴れやかにきらめく眼で発見したものであった。・・・・・
・・・・・・彼は顎を両手でささえ、頭を少しかしげた,私は彼を見た.彼はまったくの実在だった。それに疑いはなかったが、私は自分の肉眼で彼を見ているのかどうか確信がなかった。だが眼を閉じると、彼が見えなくなった。私は身を乗り出して、「こんにちは」と言った。
 彼は気が動転したかのようにびっくりして、飛び上がった。そして二、三歩後ずさりしてから、注意深くまた近づいて、私をじっと見た。
「きみには僕が見えるの?」と彼はたずねた。
「見えるとも」
「信じられないなあ。人間には僕たちが見えないはずだもの」
「どうして?」
「僕はどんなふうに見える?」
そこで払は自分が見たままの彼の様子を語った。それでもまた当惑し、彼はよく納得でさない様子でクルクルまわって踊りはしめた。
「僕は今、何をしてる?」
私がそのままのことを話すと、彼は踊りをやめて言った。
「確かにきみには僕が見えているに違いない」
彼は踊りながら払のベンチのかたわらへやってきてベンチに腰掛け、私の方をむいた。

・・・・・・・・それ以来というもの、私は何度も、彼の存在に気づいてきたし、またいろいろの「自然の精霊たち」とも出会い、彼らとの交信もできる。先に私が恐れることなく反応したので、彼は払を仲介として使おうとしたのだ。このことは私を尊大な気持ちにさせはしない。私はただ彼が使用しうる一つのパイプすぎない。私はこのことを、そしてこれらのすばらしい生きものたちと接触し、彼らと交信できる能力を与えられたことを大いに名誉と感じている。


私が今までのことを書きしるしたのは、フィンドホーンの園での仕事とその発展に、それが役に立つからだ。「自然の精霊たち」との間にもともと存在する連環を、意識的なレベルに持ってくることにより、ドロシーの「ディーバの世界」からのガイダンスと知識を補足することができるわけだ。われわれはフィンドホーンにおいて、「ディーバたち」と「自然」と「入間」の三つの世界の協力関係を樹立しつつあるのだ。これはフィンドホーンの園の目的となったし、今着々と実現への道を歩みつつある。`
 ディーバは天使と考えてもいいだろう。ディーバたちは各種の植物の理想形をデインンしそれが地上に現象化されるのに必要なエネルギーを注ぎこんでいるらしい。
 一方「自然の精霊たち」は建築家たちと見てよいだろう。理想型のデザインに従って働きながら、彼らはディーバたちが送ってよこすエネルギーから、植物の身体を作り上げるのだ。
 もちろん、多くの人々は、そんなものの存在を疑うことだろう。たしかに現在は、それを科学的に証明することはできないが、将来はきっと可能になるにちがいない。科学者たちは、植物の全設計は、DNAの遺伝コード中に含まれて種子の中にあると主張するだろう。種子を植えれば、ディーバたちや「自然の精霊たち」というような怪しげな存在の助けを借りずとも樹は育つ。世の中には正統的な見地というものがあり、それを信奉する者たちの意見を変える方法はほとんどない。それはやってみても時間の無駄で終わる場合が多い。

 しかし一方、多くの人々は、人間は単なる物質的肉体以上のものだということを知っている。ある人たちによれば、人間にはエーテルのような身体があり、それよりさらに精妙な身体もあるという。われわれは肉体を持った霊である。人間ほど精妙なものでないにしても、植物にも少なくともエーテルのような実体があり、DNAのような微小なものにも、エーテルのような原型(カウンターバート)があるという考え方も可能はないだろうか?その原型とともに働く精霊的な存在さえあるかもしれないではないか?植物はその原型なしに、そしてそれを助ける存在なしに本当に成長できるものだろうか?


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by sadomago | 2005-10-21 17:40 | フィンドホーン
2005年 10月 20日
フィンドホーンの魔法 Vol7
フィンドホーンの魔法
ポール・ホーケン
日本教文社 1995年7月1日 初版発行(原著執筆は1971年頃)
日本教文社 1981年出版 「フィンドホーンの奇跡」の復刻版

(Vol7) 「ビーターの放射エネルギーは力強く、目的に満ちているので、私たちはそれを用いて、植物の成長に役立たせることができます。園で働くものは誰でも、無意識のうちに、この方法で園に貢献することができますが、意識して植物と協調しようという人々はより多く貢献することができます。ある人々は植物の成長を刺激することができますが、ある人々は、抑圧的な影響を及ぼし、植物から力を抜いてしまいます。幸福なバイブレーションを放つ人々は特に植物によい効果を及ぼします。子供たちが遊ぶのも同様な効き目があります。放射エネルギーは、あなた方が認識しているよりもずっと大きな役割をはたしているのです自然の。
 精霊たちは人間の放射するエネルギーから逃げようとしますが、その影響を受けざるを得ません。それというのも、彼らは人間のように厚い皮膚をたない無防備な存在だからです」


ドロシーは、ディーバたちとの接触を通じて、それまて隠され、埋もれていたあるレベルの存在と意識に矯がかけられた、と感じた。その接触を可能なかぎり親密なものとし、そこで与えられた指導とメッセージが園内で実現されるのを見るのが、彼女の望みだった。
 ディーバの世界は、人間が、地上のできごとを本来の流れに戻すために、ある一事を行なわなければならないと力説していた。それは自分自身の内に「神」を発見し、自分が全体の一部であることを認識しなければならないという一事である。人は自分自身がすべてのもの、すべての生きもの、そして創造全体の一部であるという認識の核心にぜひとも触れなくてはならない。その認識と実感により、外と内の区別は消滅する。
 われわれにとっては、自然が人間に「語りかける」という問題は、かなりやっかいな問題である。しかしピーターとドロシーにとっては、それは何の問題でもなかったし、その証拠も必要ではなかった。彼らが受けた指導は園にとって、まさに正しいということがわかったし、園そのものはまばゆいばかりに壮麗だった。おそらく植物とのコミュニケーションは、われわれが想像するほど手の届かぬものではなかったのだろう。植物とのコミュニケーションの分野における精力的な調査探求と文献は、今日、むしろ驚くべき結果を示している。こうした研究調査の大部分は、「自然」がわれわれの言葉を聞くことができるか否かに集中している。しかし、真の問題は、われわれが、自然が語ることばを聞くことができるか否かである。ドロシーの話を聞いたあとでは、その答えはイエスとならざるをえない。人間と「自然」との接触の欠如は、 ここ最近の現象であり、本来からいえばむしろ例外である。なぜなら、人間は歴史の夜明け以来、自然の諸精霊や、ディーバたち、森林や星の精と絶えずコミュニケーションを交わしてきたからである。


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by sadomago | 2005-10-20 08:15 | フィンドホーン
2005年 10月 20日
フィンドホーンの魔法 Vol6
(Vol6)フィンドホーンの魔法
ポール・ホーケン
日本教文社 1995年7月1日 初版発行(原著執筆は1971年頃)
日本教文社 1981年出版 「フィンドホーンの奇跡」の復刻版


 「最初、この実験を開始した頃、私は多くの疑いを持っていました。それは取りも直さず仙女とか妖精というような存在について、限られた概念しかもっていなかったからです。しかし、コンタクトが続き、菜園の成長を助ける上で、それが有効であることが立証されたので、私はそういう存在の実在を受け入れて、彼らの導きに従ったのです。
 このことは彼らを嬉しがらせたようでした。特に彼らが示唆したことを、私たちが実行に移したことが彼らに気に入られたようでした。最初の頃、彼らの中のあるものたちはたいへんによそよそしく、非友好的に感じられましたが、彼らが言うにば、それは人間が、貪欲と無思慮と誤用を通じて、自然に与えてきた処置のせいだということでした。しかし私たちが彼らのことばを傾聴するのに気づくと、彼らはますます助言を借しまぬようになり、友好的になり、できるだけ多くの種類の野菜を植えるようにと私たちに頼んだのです」・・・

 「あなた方はすでに水を十分にやりすぎていますから、少し控えめにしなさい。太陽が毎日出ることはない今の気候では、毎夜、水をやる必要はありません。菜園のものはどれもどんどん丈夫になっている途中ですから、植物をしっかり寄せ集めておくのは正しいやり方です。あなたがたの園の扱い方についてはわれわれはとても喜んでいます。園に働いているもろもろの力を見るようにしてください。下の方からもろもろの力が次第に引き土げられていますから、われわれの力は大きな波となって、園に入ってきています。園にピートモスを人れる必要はありません……むしろ堆肥を入れなさい……われわれは堆肥の成熟のスピードをあげています……堆肥をよく混ぜ合わせなさい」

 ドロシーは自分がコンタクトする存在を、ヒンズー語で「光の生命」を意味する「ディーバ」と言う言葉で呼びはじめた。
 やがて夏に入ると、ディーバたちやその他もろもろをつかさどる天使たちから、何百ものメッセージが人ってきた。
  
 小型そらまめのディーバ:「最初の区画は、種まきが深すぎたし、園のいろいろな力が十分強 くなる莉たったから、てきはよくないてしょう」
  トマトのディーバ:「トマトには寒気がひどすぎるが、守ってあげましょう。今液体肥料を与えなさい。実がいくぶん形をなしてくるまで風よけはそのままにしておきなさい」
 
 ほうれん草のディーバー:「葉を強く自然に成長させたいのなら、現在より間隔を広くとりなさい。今のままにしておけば、葉は全体的に大きく少し柔らかなものになるでしょう。しかし生命力は乏しいものになります」
 
 大地の天使:「今日のようなずぶぬれの日はよくないという考えは捨ててください。私たちはこういう日を利用して、ある力を雨滴にこめて送り込んでいます。どんな天候でも、なんらかの形で私たちの仕事となります。ある状況になれば、それから得ることのできる恩恵を利用するのです。そうしたことはごく当たり前のことですが、近ごろの人間はそれを忘れてしまっているのです。
 堆肥をかきまわすことが早ければ早いほどそれだけ早く利用できるようになります。いくらか日が当たってほしいものですが、そうでなくても植物はよく育つでしょう。あなた方の誰にとっても、私たちを賛美することはいいことです。それは私たちの健康に役に立つからです」


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by sadomago | 2005-10-20 06:56 | フィンドホーン
2005年 10月 15日
フィンドホーンの魔法 Vol5
(Vlo5) フィンドホーンの魔法
ポール・ホーケン
日本教文社 1995年7月1日 初版発行(原著執筆は1971年頃)
日本教文社 1981年出版 「フィンドホーンの奇跡」の復刻版


P168 L7~
  彼らの骨折りにより、菜園のできばえは良かったが、とくに目立ってすばらしいというほどではなかった。害虫や作物の病害によって、さらに多くの問題に直面していた。
 その後、五月八日のこと、ドロシーがすわって瞑想していると、次のような言葉を受け取った。
 
「生命にたいする洞察力のある人々にとっては、あらゆるものに意味があります。例えば、たえまなく吹きまくる風の背後にも意味があります。それは風がもたらすさまざまな不快な結果にもかかわらず、霊的な意味が必ず含まれているのです。眼のあるものにとっては、すべてのものがその場に適応していることがわかります。
 自然のもろもろの力は心に感応し、そしてより強くなっていきます。……あなたがなすべき仕事の一つは、風のような、大自然のもろもろの力を感得し、私のために、そのエッセンスと目的を感じとり、積極的にそのエッセンスと調和することです。それはあなたが想像するほどむつかしいことではありません。なぜならば、そういう力の生命は、……あなたの友好的な力を感じて喜ぶからです。……太陽、月、海、樹木、草でさえも、すべての力は感得されるべきです、すべてば私の生命の部分だからです。すべては一つの生命なのです。生命を再び一体化するために、あなたの役割を演じなさい。私はいつもあなたを助けます」

 ドロシーはどう解釈してよいかわからなかった。彼女はそれを、散歩に行ったり、または寝そベって、日光浴でもしなさいとかいう喜ばしい暗示と受け取った。しかし、その言葉をピーターに話すと、彼はただちに、もっと情報を得て、菜園づくりを手伝ってくれるようにと言った。そして彼女にもっと情報を得るようにとせっついた。翌日、彼女はつぎのような言葉を聞いた。

「あなたは菜園で協力することになります。その場合、自然の精霊たちやさらには雲や雨の精霊あるいは一つひとつの野菜の精霊たちのことを考えて働きなさい。新しい世界においては、彼らの領分が、人間にも開放されるようになります。あるいは、人間が彼らに開放されるようになるというべきかも知れません。心を開いて、調和と理解をもって、自然の輝かしい領土を探求してください。そこは“光”の領土で、そこに住むものたちは、喜んで人間の役に立ちたいという気持ちはありますが、人間には不信を抱いていることも心得ておきなさい」
 
 これはかなり信じがたい教訓だったので、ドロシーはその後しばらくの間「声」との接触をしなかった。ピーターは実際的であり、菜園の育成におおいに関心を持っていたので、「声」との接触を続けるように要求して彼女を悩ませた。彼は特定の問題にたいする啓示を求めた。「どうしてレタスは枯れかけているのか」また、「害虫を駆除するにはどうしたらよいのか」知りたがった。
 ドロシーは戸惑い、躊躇したが、アイリーンの場合と同様、そうしたメッセージを絶対的に信仰し、積極的に支持するのはピーターだった。
 彼の絶え間ないせっつきが効を奏し、またドロシーの好奇心も手伝って、彼女は再び「声」とのコンタクトをしてみる気になった。雨とか月の精霊と取り組む前に、身近にいて実用的なレベルから出発するのがよいと考えて、彼女はえんどう豆をえらんだ。えんどう豆は菜園に生えていたし、彼女の好きな野菜だったからだ。トレーラー内での朝の瞑想中に、彼女はまったく新しい意識状態に達した。そして、「自然の精霊」「えんどう豆の精霊」に思いを寄せると、びっくりするほど明瞭、敏速に、答えが帰ってきた。


 「人間よ、私はあなたに話すことができます。私は自分に与えられた摂理にそのまま従っています。植えつけられて、成長し、私はただそれを結実させているだけです。あなたは私の意識に触れました。私はあなたに伝えなければならないことをよくわかっています。自然力の場は、いろいろな障害があるにもかかわらず常に顕示されようとしているのです。この顕示された世界には、確かにたくさんの障害があります。例えばナメクジですが、あなた方はナメクジが私たちにとってとても大きな脅威だと考えていますが、そうではありません。ナメクジは自然の秩序の一部であり、野菜界では、ナメクジを養うことなど少しも意にかいしていないのです。しかし、人間ときたら、当然のことのようにとりたいだけとるし、しかも全然感謝しないので、私たちは人間に対して違和感と敵意を抱いています。人間はがいして、自分たちが一体どこにいくのか、そしてそれはなぜなのか知らないのです。人間がもしそれを知ったら、すばらしく協力になることでしょう人間が、自分たちは何をなすべきかについて、正しい道をとりさえすれば、私たちはもっと人間に協力できるでしょう。今日は私の意向を明らかにさせていただきましたので、これくらいにしておきましょう」

 以上がメッセージだった。ドロシーはびっくり仰天した。それが何であるにせよ、その存在にはなんと奇妙に説得力があり、また率直なことか! そしてそれは実際、何なのだろうか? 精霊か? 天使か? 一種の生命なのか? それを何と呼べばよいのか? それは確かに、単なるえんどう豆ではない。それは菜園のえんどう豆という実質を通して出てくるもの、あるいは、えんどう豆を取り巻いている何かなのだ。ドロシーは興奮して、ピーターを見つけに戸外へ走りだした。彼女がこのメッセージを受けたのはピーターの励ましがあってのことだった。それで彼女はピーターにそれを話したかったのである。ピーターば大喜びし、彼女と同じくらい興奮した。
 菜園は彼らが生きぬくために必要な道具だった。生きるためには食物がなくてはならない。彼らの肉体はめざましく変化してきていたので、大きな活力のある食物が特に必要だった。だが今や、ドロシーを通じて、また別の局面が明らかになったのだった。さまざまな種類の植物の形や成長をつかさどる源とのコンタクトができたのである。これには特別な目的があるということを、ピーターは一瞬たりとも疑わなかった。それに続くコンタクトを通じて、思想と知識の広大な領域のドアが開かれ探求されることになっていった。




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by sadomago | 2005-10-15 23:15 | フィンドホーン
2005年 10月 14日
フィンドホーンの魔法 Vol4
(Vol4) フィンドホーンの魔法
ポール・ホーケン
日本教文社 1995年7月1日 初版発行(原著執筆は1971年頃)
日本教文社 1981年出版 「フィンドホーンの奇跡」の復刻版


P154 L7~
 ドロシーとアイリーンの仕事は、子供たちが学校から帰ってくる前に、午後の干潮時に、岩から海藻を切り取って集めることだった。特に寒いある目のこと、二人が膝まで海水に入っていた時、アイリーンがついナイフを手からすべらせ、ナイフが彼女の手をさっと切った。彼女とドロシーは深い切傷を恐怖の眼で見つめた。アイリーンは急いでその手を握り締め、「神よ、私は一切のことを肯定します」と繰り返しつぶやきながら祈った。やがて彼女は上を見上げて手を開いた。ドロシーが見ると、手にはまったく傷がなかった。傷跡さえなかった。二人は何も言わずにただ畏敬の念に深く打たれて働き続けた。・・・・・


必要は満たされる
P155 ~
・・・・ピーターとアイリーンは注意深くじゃが芋を調べ、腐っていない食べられる部分をよりわけ、ポテトスープを作るのに使った。これは彼らの夕食の必需品になった。熟れすぎバナナはつきつぶしてミルクに混ぜ、デザートにした。その残りは堆肥の山に加えた。彼らの必要は簡単に、しかも優雅に満たされるのだった。

 「あなた方の必要が満たされないことがあったでしょうか?あなた方は私の大切な子供です。だからこそ私はあなた方に手を差し伸べているのです。すべてが可能と信じて、それを実現してください。将来のために貯えをする必要はありません。どんなものでもあなた方が得るものは私の贈り物として使ってください。すべてを使っても、もっと多くのものが予備として残されています。そのことを覚えていてください。そうすればあなた方は将来を思いわずらったり、過去をふりかえることをしなくなるでしょう。あなた方は今を充実して生きなさい。そして、必要はいつも満たされることを常に感謝しなさい」

彼らの新しい食事は、ホテルの支配人当時の献立表と対照的だった。クルーニーヒルでは、ピーターとアイリーンは格調のある正式な献立を用意し、客たちと同様、ワインー瓶つきの五、六品コースの食事をし、最後に一杯のブランデーで終わった。しかしこの窪地での彼らの食事はとびきり簡素なものになった。
 「あなた方の肉体がますます浄化されていくにつれ、あなた力の食事はどんどん質素なものになっていきます。あなた方の肉体から、さまざまな不純物が除去されていき、あなた方は、やがて、太陽と新鮮な大気から栄養を吸収しはじめるでしょう」
 ピーターは菜園で働いていない時には、海岸を走り、泳ぐようにとのガイダンスを受け取った。彼は昼食と夕飯の前には仕事をやめ、海岸ぞいに毎日五、六キロ走ってから、氷の海に飛び込んだ。ガイダンスによれば、彼らは農園からとれるものだけで生ぎていくべきであり、そこでとれる作物には町で買うものよりずっとすぐれた波動があるので、たいへん貴重なものだとのことだった。彼らの献立はサラダ、くだもの、大麦の胚芽、パン、蜂蜜など、ほとんど完全な菜食だった。アイリーンはそれより先、献立から赤身の肉を除くように指示を受け、その後まもなく白身の肉も除くように言われていた。

 「あなた方の肉体を浄化するこの方法は徐々に行なわれます。あなた方は何ごとも急激に行なってはなりません。徐々に植物性の食物と果物をあなた方の肉体組織に吸収することに慣れてください。あなた方の肉体はやがて菜食にまったく慣れ、それ以上のものを切望しなくなります。あなた方のしていることのすべて、すなわち、食べている食物、仕事、あなた方が吸収する陽光と新鮮な大気などのすべては、あなた方をニューエイジに導いていきます。オールドエイジはもうおしまいです。ピーターに言いなさい。彼がこの土地において行なっている仕事のすべては、やがて、大量の野菜をもたらすでしょう。彼はこの土地をきわめて特別な場所にしつつあります。それは将来、すばらしいことに用いら れるでしょう」
 自分たちの育てている食料が生育する過程は、新しい肉体、新しい精神、そして新たな生命への第一歩なのだというカイダンスを、アイリーンは練り返し繰り返し受け取った。
「あなた方が今食べているものは、あなた方がこれまでに食べたどんな食物より、はるかに良いものです。あなた方は、それぞれ、自分の肉体を、まったく新しいことのために、今、鍛えている最中だということを自覚してください。だからこそ、過去のあなた方の食習慣はもはや通用しません。これはまったく“新しいこと”だからです。あなた方は、完全に新しい習慣、新しい思考法を身につけるでしよう。古い例や型はすべて破棄してください。食事に関して本で読んだことは実行してはなりません。自家菜園からの食物の摂取は多ければ多いほどよいのです。あなた方は徐々に、あなた方の肉体を浄化しています。あなた方の肉体がさらに浄化され密度の薄いものになれば、あなた方の皮膚は今まで取り入れることが不可能だったエネルギーを吸収するようになります。それはあたかも古い皮膚が一枚一枚剥がれ落ち、その後にエーテルよりも純粋なものを吸収することができる新しい皮膚が残るようなものです。
 あなた方は自分の肉体が何を吸収することができるのか、また何がよく、何が悪いか自然に知るようになり、本能的に正しい食物を摂取するようになります。古いものは去っていかなければならず、あなた方がこの理を少しでもはやく悟り、そのためになにかをなすようになれば、それはさらに良いことです。この菜園で採れるものには実にすばらしい生命力があり、他で買い求めたいかなる食物より、あなた方の身体に良いことを知ってください。ここの食物を称賛して下さい。それを吸収して、常に感謝しなさい」

 菜園は彼らの生活の中心となり、五月になると、通りがかった人々は、この菜園が普通とは違った特別な何かであることに気がつくようになった。すべての作物が、彼らが今まで見たものより丈が高く、大きく、緑が濃く、活気に満ちていた。この時点で、アイリーソが受け取ったガイダンスによれば、そこに生育すべき植物はすべて植えること、そして植物は最終的には六十五種類の野菜、四十二種類のハーブ、二十一種類の果実にわたるだろうというものだった。
 五月のある晴れた朝、ピーターがにんじんの間引きをし、アイリーソが洗濯をしていた時、ドロシー・マクリーンはある存在からのコンタクトを受けた。そして、それは、フィンドホーンの菜園に完全な革命的変化をもたらし、それを日常的次元から夢のような次元にまで変化させたのである。この存在こそ、えんどう豆のディーバ(精霊)であった。



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by sadomago | 2005-10-14 12:17 | フィンドホーン
2005年 10月 13日
フィンドホーンの魔法 Vol3
(Vol3) フィンドホーンの魔法
ポール・ホーケン
日本教文社 1995年7月1日 初版発行(原著執筆は1971年頃)
日本教文社 1981年出版 「フィンドホーンの奇跡」の復刻版

絶対的信仰
P149 L6~

アイリーンは心霊研究家や霊媒に不信感をだいていたので、ガイダンスを自分が受け取ることについて、心の動揺を覚えた。彼女が育てられた正統的な英国教会の教えによれば、神様が個人に語りかけたりはしない、いわんや、神がお前に語りかけることなど絶対にありえないと教えこまれていた。アイリーンは自分の欲望を無意識に投影しながら、それを「啓示」だと思い込むような超能力者にはたりたくなかった。彼女は全力を集中して、こうした衝動を拒否しようと決心した。たがそうしようとしても、正座して聞くようにとの呼び声をこばむことはできなかった。
 しかもなお、その最初の冬、彼女は自分の受け取るガイダンスにますます疑惑を深めていた。クルーニーヒルにいた時には、ガイダンスに従ってすべてうまくいっていたのに、今、彼女は奈落の底のような状態にいて、彼女の信仰は粉々に粉砕されてしまっていた。ガイダンスは繰り返し「すべてよし」というばかりで、彼女はガイダンスと現状をどうしても一致させることができなかった。
 ピーターは困難な生活状態、貧乏、寒気、辛苦を少しも苦にしなかったが、アイリーンの疑惑や消極性にはどうにも我慢がならたかった。彼は若い頃、サリバン博士から受けた積極的思考の訓練をアイリーンにもさせることにした。ピーターにとっては、何一つ打ち勝ちがたいものはなかった。そのうえ神の賛同の印が押してあれば、できないことはーもない。思考と生活は密接に連結しており、人は自分が考えるとおりのものを生み出す、また思考こそが、自分の環境のすべてを決定するのだ、とピーターはアイリーンに繰り返し教えた。もしもアイリーンが否定的な思考に生きるならば、彼女は自分自身が恐れているものを創りだすことになるだろう。これは効き目があったらしい。アイリーンはまもなく不平を言うのをやめ、彼女の信仰が新たに花開いたからであった。

「心を悩ましてはなりません。私を信じなさい。私を信頼しなさい。疑いや恐れにつけ入れられてはなりません。常にあなた自身を私の愛を放射する道としなさい。意気消沈することなく、美しき光の中に入りなさい。…愛情のこもった積極的な考えをもって一日をはじめなさい。そうすればかならず一日は違ったものになるでしょう。あなたは一人閉じこもった生活をしています。あなたは何百万人もの人が住み、鼠が走りまわるような雑踏や、不潔でみじめな都会の生活を忘れてしまっています。それを思い出してごらんなさい。そうすれば、私があなたを今の生活に導いたことに深く感謝することができるはずです。ここには平和と美しさがあります。空気は清く、生活は簡素です。あなたはおおいに祝福されています。この祝福を受けとめてください。手足を伸ばし、私の仕事を行ないなさい。私の平和と愛をあなたのものにしなさい。それこそ私、すなわちあなたの天なる父よりの贈り物です。常に私の導きのもとに歩み、決して背いてはなりません。・・・・・


P151 L8~
公衆便所へ行け

 アイリーンの信仰が増すにつれ、彼女はもっと長い間、瞑想したいと願うようになった。しかし、一台のトレーラーの中に六人がいて、部屋から部屋へ移るとき、互いに身体がぶつかり合う状態では、一人になる場所もなかった。ある夜遅く、彼女は瞑想中に、どこで平安と静寂を見いだせるかと聞いてみた。すぐに返事がかえってきたが彼女は質問しなければよかったと思った。「公衆便所にいきなさい。そこで静寂の時がもてるでしょう」
そこでアイリーンはノートブックと鉛筆をバッグに投げ込むと、厚いコートを身にまとい、凍りつく夜中、公衆便所まで歩いて行った。




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by sadomago | 2005-10-13 21:15 | フィンドホーン
2005年 10月 13日
フィンドホーンの魔法 Vol2
(Vol2) フィンドホーンの魔法
ポール・ホーケン
日本教文社 1995年7月1日 初版発行(原著執筆は1971年頃)
日本教文社 1981年出版 「フィンドホーンの奇跡」の復刻版


花園

P40 L1~
 一緒に歩きながら、彼は私のさまざまな質問に答え、私は花の名前や種類についての彼の答えをメモした。彼はどんな花や植物の名前もさらには、それらのラテン名にも良く通じており、園芸についての深い知識を示した。私たちが通る道に沿って、マリーゴールド、アリッサム、ロベリア、パンジー、メネシア、アップルミント、オダマキなどが咲いていた。花壇にはどこにも花々がこんもりと豊かに咲き誇り、朝の光を浴びて互いに美しさを競いあっていた。ペチュニア、シルバーダスト、アスター、紫苑、リビングストンデイジー、けし、ふうりんそう、フクシア、ひえんそう、クラーキア、ヘリクリサム、モンクシュード、コスモス、アジュガ、ユーカリ、その他もろもろである。それはまさに驚嘆すべき見ものであり、すべての花が、この肌寒い九月末というのに完璧に咲き誇っていた。
 そのうち私たちは園丁頭のマシューにゆき逢った。ピーターはもう園丁としては働いてはおらず、共同体の管理者としての任務に専念していた。彼は畑と庭の仕事を、ブラックプールから来た何人かの園丁たちに引き継いでいたが、この人たちは共同体内では、「地の精」という名で呼ばれていた。彼らはみんなここに来る前に園丁見習いだったので、それまでに習得した園芸の知識を、ピーターが園芸家として八年間に吸収した教訓と結合させた。そしてピーターの仕事を継続したのだが、彼らが引き継いだ時から、それ以前にあった園のさまざまな不思議な現象はほとんど消えてしまった。相変わらずそこかしこに異常に大きい植物があることはあるが、ピーターが園の仕事をやめてからというもの、値物のサイズと形に関するかぎり、園はずっと「平常」になったのである。
私はマシューに、なぜ植物が平常になったのかとたずねた。
 「ここでの成長がなみはずれていたのは、それが可能だということを、ピーターやその他の人々に実際に示すためだったのですよ。今では、われわれは大自然の王国と共に働くことが可能だと知っているわけです。ですから、もはや異常に大きく育つ植物を生産する必要がなくなったのです。なぜならばですね、ここの植物のあるものは寒風の真っただ中で、乾いた砂地に成長していたわけですが、そのことが、そういう植物にとって幸福だったとは言えませんからね。それは単に生命力と人間の協力の可能性を示すためだったのですよ。しかもなお、何の無理もなしに、私たちは今でもすばらしい成果をあげています。バラは実に大きな花を咲かせていますが、何がそうさせているのかはわかりません。そのほかにも、まったくびっくりするような大きなものが育っています。しかしですな、たとえば誰かに十八キロのキャベツを見せてご覧なさい。世間は十八キロのキャベツ見物に飛びついて、サイズと形と量についてばかり考えますよ。人々はそのキャベツの陰にある存在や意識を無視して、その代わりに見るのはサイズばかりで、その美しさや完全性ではありません」私自身もまた、そういうキャベツを見たいと思ってここに来たことを認めざるを得なかった。・・・・・・

・・・・・・最初この花園を見たとき、多彩な色が私の感覚を圧倒してしまった。だが時がたつにつれ、私は眼をきょろきょろさせてあたりを見まわし、もっと注意深く観察するようになった。どこの土手の中に手をつっこんでもても、十センチも堆肥を掘るとその下は砂の層である。砂浜の上に花園を作っているということなのだ。しかし、太陽の光の中で輝かしくゆれているのは、生き生きとした花なのである。これは理性的分析への挑戦であり、今日までのところ、科学的権威はフィンドホーンの現象を解明できないでいるのだ。


P43 L1~
精霊たち


 私はマシューとレナードに、自然の精霊たちと一緒に「働いている」時、実際に精霊の存在を感じるかどうか聞いてみた。二人が言うには、彼らを直接に感知したことはないが、自然の精霊たちから直接指導されていると感じているとのことである。レナードの話によれば、深く根づいた何本かの灌木があり、それをどうしても取り除かなければならなくなったことがあった。そこで、除去する数日前に、そこへ行き、いつ、そしてなぜ除去しなければならないかを静かに語り聞かせた。その日になった。それらの灌木は片手で容易に引き技くことができ、それはまるで、生への「執着」を完全に放棄したかのようにみえた。レナードは試しに、除去しなくても良い灌木のところへ行き、引き技こうとしたが、てこでも勤かなかったという。



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by sadomago | 2005-10-13 07:51 | フィンドホーン
2005年 10月 12日
フィンドホーンの魔法Vol1
(Vol1) フィンドホーンの魔法
ポール・ホーケン
日本教文社 1995年7月1日 初版発行(原著執筆は1971年頃)
日本教文社 1981年出版 「フィンドホーンの奇跡」の復刻版

P29 L11~
 ある種の雰囲気と輝き


 そこで私はクレイグ・ギブソンというオーストラリア人に会った。彼は長期滞在者の一人である。夕食を取りながら、彼はフィンドホーンの周辺の事情について説明をしてくれた。クレイグの話によれば、フィンドホーンはトレーラーパーク (:イギリス流に言えばキャラバンパーク)の借地で、トレーラー一台から出発したのだった。そこはごみすて場に近かったので、 当然のことながら、他のトレーラー群からまったく孤立していた。フィンドホーンはそのただの一台から出発したのだが、年を追うごとに台数が増加して、今では百三十人のメンバーと四十人の客を収容する四十台のトレーラーと十四軒のバンガローに発展したのである。
 共同体は何台かのトレラーと何軒かのバンガローを所有しているが、その他の大部分は個人の所有物である。ここはどうしたものか、だれもが所有権についてあまり関心がないように見えた。以前、アメリカで訪れた共同生活地ではどこでも、メンバーとして受け入れられる前に、個人の所有物全部の所有権を放棄します、という文書に署名させられていたのと較べると、これは実にさわやかなことだった。フィンドホーンにおいては、メンバーになりたいと望む人間の意識が重要なのであり、月々の費用以上の物質的貢献は必要ではないというのだ。
 それにもかかわらず、この共同体が借地に建てられたこと、そして現在もそれが建設中であるということが、私をびっくりさせた。しかも、短間借用契約なのだ! 農園、バンガロー、聖堂、およびわれわれが食事している新築のコミュニティー・センターが建っている土地でさえ、フィンドホーンの所有地ではないのだ。これは信仰なのか、それとも愚行なのか、私は知りたかったが、あえて尋ねはしなかった。パインリッジでは借地ですらなかった。もっとも借地契約をしようとして交渉はしているのだが、今までのところ不成功なのだ。ここでは、土地は、まったく売却するものではなかった。この地域の人々は誰も彼も土地に一生懸命しがみついている。北海油田ブームがこの地域に及ぶ期待があるからで、そのため、売却用の土地といえば猫の額ほどの小さなものでも、一エーカーにつき二万ドルという天文学的な価格になっていた。砂と小石だけの土地が二万ドルもするのだ!
 共同体が他の土地へ、その発展にとってもっと有利な土地へ移らないのはなぜか、と私は尋ねた。フィンドホーンはパワーポイント、すなわち、宇宙的な霊力の地点に位置しており、そのエネルギーが大量にフィンドホーンに集中しているから、というのがクレイグの返事だった。それはかなり曖昧で、何かもっともらしい言い訳のように私には思えた。だがそのことから考えがほかに移らぬ前に、私は食堂内に何か「不思議」なものが漂っているのに気がついた。最初、それはスキーロッジで盛んに食物をぱくついている幸福な一大家族のように見えた。その夜は八十人から九十人の人々が食事をしていた。照明は金色がかった琥珀色で、木製のテーブルやコルク色の床タイルに美しく映えていた。
 だが次の瞬間、食堂全体が一種の不思議なバイブレーションに包まれているような気がした。それは言葉やつぶやきや、また会話のなかに起こる笑い声などの間に感じられるものだった。その感じは次第に強くなっていった。私が目を上げると、何かに導かれているかのような眼差しで私をじっと見つめるアレキシスの青い目と視線があった。アレキシスはニューョークから来た四十歳の元俳優で、この五年間、フィンドホーンで占星術を学んでいた。彼はじっと私を見つめていたが、やがて菜食主義者のパイとでもいった食事に戻った、それはあたかも彼が私の心を読み、沈黙の中に次のように言っているかのようだった。
 「今、それを感じますか? それは農園でも建物でもわれわれが語る言葉ですらないのです。そう、これなのです。これこそ、私たちが話しているものなのですよ」
 私はクレイグの方を見た。すると彼はアレキシスと同じ目つきで私をながめていた。ああこれは何ということなのだ! 私は自分のパイを見下ろして、全てにたいして、少しばかり心もとなくなった。
 何かが起こっていた。そして私は外部の人間にすぎないので、それが何であるか、全然見当もつかなかった。エバンス・ウエッツは『ケルト族の国々における精霊信仰』という彼の著書の中で次のように書いている。「……この地上にはある種の特別な恩恵を与えられている場所があるように思える。そこでは磁力的な、精妙な霊力が強く、こうした種類のことに敏感な人々には、それを容易に感知できるのだ」私は再び周囲をながめまわした。すると食事をしている人々それぞれが、アレキシスとクレイグと同様な強さを持っており、さらには、彼らが皆「輝いている」ように見えた。その輝きこそ、私がはっきり識別できた唯一、ここにいる人々に共通している要素だった。これ以上、異質な人々のグループが、一つの社会に共同生活しているというようなことは、私にはとうてい信じられなかった。
 糊のきいた麻のドレスを着て、シフォンのショールをまとい、角張ったパンプスをはいた上流社会の中年婦人といったタイプの人々がおり、彼女たちが床を歩くと、そのパンプスがカタカタと音をたてた。彼女たちを見ていると私はボストンの神智学協会の会合を思い出した。・・・・・・

・・・・・・・・すべての人が輝いていた。
 一つのテーブルを囲み、ドイツ語と英語の両方で話し合っているきわめて活気に満ちた一団を、クレイグが指し示した。そこにはドイツの有名な作曲家の妻で画家のマリー・シュトックハウゼンが、ヨセフ・ギーベルというドイツ人の透視能力者と隣り合ってすわっていた。彼女は同じテーブルの他の人たちの通訳をしていた。このグループの中には、アメリカ人の医者のジェフ、ロサンゼルスからやってきたユダヤ人でヨガ教師のガンガとその妻のラダー、そしてうっとりしてしまうほどの美人のイギリス人作家のジル・パースがいた。彼女には明確に輝きがあった。このグループの全員は、「ニューエイジの教育」と銘うった会議に出席するために、ドイツからやってきていた。
 見えない世界を通じてさまざまな植物と交信する特別な能力を持つ、人里はなれた「ニューエイジ共同体」には、どちらかといえば、限られた、そして共通の特徴を持つ同じような人たちを発見できるものと、私は思い込んでいたようだ。しかし、私が見るかぎり、まわりには色々違たタイプの人々がおり、私の思い込みはまったく根拠のないものだった。それはフィンドホーンに年齢、国籍、社会的階級をまったく超越した魅力があることを如実に示していた。全員に共通する唯一のものは輝きだった。そして朝になってからも、昨夜のことについてもっとも明瞭に思い出したのは、その輝きとあの説明しがたいバイブレーションだった。


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by sadomago | 2005-10-12 07:48 | フィンドホーン