2006年 07月 12日
光療法・備考
ドナの結婚
 自閉症だったわたしへ
 Copyright(C)1996 by Donna Williams

発行:2002.3.30 新潮社
著者:ドナ・ウィリアムズ
訳者:河野万里子


P211~
 メグは大きなケースを開けた。あらゆる色の、あらゆる種類の濃さがそろったレンズとフィルターが現れた。そのうちの一組を、メグはこちらにわたした。現在のめがねの上に、わたしはそのフィルターのめがねを重ねてみた。 圧倒されそうにまぶしかった部屋の様子が、少しやわらいだが、それだけだった。 メグは、次のものをわたしてくれた。空中に浮かぶ細かい埃のようなものが、いっそうくっきり見えた。思わずうっとりしたが、これではわたしにとって何の助けにもならない。 三つ目のものは、部屋の陰影の具合がただ変わっただけだった。そうして最後に、ようやくわずかにものがよく見えるめがねと出会えた。 物そのものの情報から注意をそらしてしまうまぶしさや、影などを取りのぞくものとのことだった。
 <中略>
P212~
 触覚も、聴覚も、人格も、周囲に対する感覚や反応も、すべてがばらばらでしかなかったこれまでの世界で、断片的ではない完全なひとつのものというのは、わたしにとっては想像するものでしかなかった。 けれどたったひとつの経路が――視覚という経路が――ひらけただけで、想像などする必要はなくなったのだ。 わたしは実感することができるようになったのだ。
「ちょっとまって」 メグが言った。「今までかけていためがねで、壁に掛かっている視力検査表を読んでみてくれる?」 
 わたしはかけていた二重のフィルターをはずし、視力検査表を見た。 めがね屋にあったのと同じものだった。
 めがねをかけていると、どの文字も近くには見えるのだが、ゆがんで見えたりばらばらに分裂して見えたりするのは、そのままだ。
 メグに言われて、次にめがねもフィルターもなしで見てみると、表に当たる光の反射と、印刷に落ちる影とで、全体がゆがんで見え、文字はどれも振動してみえた。



「じゃあ今度、フィルターだけかけてみて」
 < 中略 >
フィルターだけをかけてみると、なんと文字はすらすらと楽に読めてしまった。わたしはわけがわからなかった。
 続いて、めがのの上からフィルターをかけて、読んでみた。
 「さっきより見えにくい」
 わたしはつっかえながらしか、読むことができなかった。フィルターをかけると、これまでのめがねはなしのほうが読みやすいのだ。
 「そうだろうと思ったわ」 メグが言った。 「このめがねは、あなたには必要なかったのよ」
 知覚の問題を知らなかっためがね屋は、何もかもを近くに見えるようにするすれば、わたしの視覚の乏しさを補えると思ったわけだ。 だがわたしは、視力には何の問題もなかったのである。 問題があったのは、目ではなく、脳のほうだったのだ。 めがね屋はふつう、視力の問題を扱うのであって、知覚の問題を扱うのではない。 目の問題を扱うのであって、脳の問題を扱うのではない (だが最近では、知覚上の目の問題を扱うために、色彩系<カラリメーター>を使うめがね屋も出てきた)。
適切な色に組み合わせを通して見さえすれば、私は視覚は完璧だったというわけだ。
 続いてイアンが、検査を受けた。
 彼は夜も昼も、目を閉じていようが開けていようが、常にテレビのブラウン管に出るような細かい粒子の見える世界にすんでいたので、ぴったりのフィルターを見つけるのは、わたしの時より簡単だった。 その粒子がなくなるように、合わせていきさえすればよかったからだ。 そうしてわたしの時と同じように、やはり奥行きや全体像がつかめるという、劇的な効果が現れた。 その時のレンズの色は、わたしとは違っていたけれど、またイアンには、これまでのめがねも必要だったっけれど。

P237~
 今までは、部屋の部分ごとに、断片的なちらかり具合が見えるだけだった。だから 「散らかった部屋」 というものは、一度もみたことがなかったわけなのだ。 人はよく 「ごめんなさいね、散らかっていて」 などと言うが、わたし自身はそうした散らかりを、まったく見ていなかったことになる。 ようやくそうしたすべてが、のみ込めてきた。
 「これがわたしたちの、散らかった部屋」 わたしはイアンに言った。 「わたしには、自分が何者なのか、わかる。わたしたちが何者なのかも、わかる」
 「あなたのもの」 「わたしのもの」 というふうにしか見えていなかったものが、今は 「全体の枠組みの中でのそれぞれのもの」 として、見える。
 「ほら」わたしは続けた。 「これが、わたしたち」 
 だが突然、あまりの変化に耐えられなくなって、わたしは自分が粉々に砕け散るような衝動に襲われた。わたしは絶望的な気分で、両腕を投げ出した。
 「なんてたくさんのものを失ってきたんだろう!」 思わず叫ばずにはいられなかった。不完全な知覚のために、わたしはこれまでどれほど多くのものを、奪われてきたことだろう。
 イアンの両腕が、わたしを包み込んだ。
 「今を生きるんだ」 彼は言った。 「今こうして、なんてたくさんのものを得たか、それを、考えるんだ」 

P239~
 夕暮れが近づき、窓の向こうの太陽は、金色に輝いていた。わたしはそれを、めがねをかけて眺めてみた。すると沈みゆく太陽は、銀色がかった白の輝きに変わった。もちろん白の中には、美しい何色もの虹の色合いがひそんでいるだがそれでも基本的な太陽の色は、銀色がかった白だった。
 次に、めがねをはずして見てみた。 紫がかった背景に、金とオレンジ色の太陽が浮かんでいる。 そこで再びめがねをかけてみる。 金は緑がかった青に、オレンジは黄緑に、赤は黄色っぽいオレンジに変わる。 まだ陽の光の残る空は、濃いグレイに変わった。これが、他の人たちの見ているものなのだろうか?
 子供の頃、夕方になると、もう暗いから中へ入りなさいとよく言われた。でもわたし自身には、そうは見えなかったのだ。 日中のほうがよほど暗く、そしてわたしにとっては、暗いからこそ居心地がよかったのである。

P240~
 わたしたちは、アレックスから手紙をもらった。色つきレンズが、彼の知覚のレベルを、どれほど大きく改善したかがわかった。

・・・・今までぼくは、気分だけに左右されていた。 変わっていた。 エキセントリックだった。 めがねのない時も、どうやって物を見るかは自分で考え出していた。 一番気に入っていたのは、すばやくちらっと見るだけのやり方。 それから見えた断片をつなぎあわせて、理解する。 ぼくの気分がよく変わったのは、時々ぼんやりとしかものが見えないことで、自分で自分に不安や恐怖を押しつけ、それに支配されてしまっていたから。 これはみじめなものだった。 自分の見る力に限界があると理解するとこわくなった。
 人の声は、どれもとても遠くにいるようにしか聞こえなかったし、質問の仕方も早すぎたから、ぼくはいつも聞いていられなくなった。 今では、問題もなく、疑いを感じることもなく、聞こえる。 ぼくには見える、ぼくには聞こえる、ぼくにはわかる。
 ぼくは、治すことのできる視覚コンディションがあるのがわかった。 ぼくには初めて、人も本もはっきり見える。 初めて、世界がはっきり見える。 前は、ぼくが見ていたのは、ひびの入った子どもたち、ひびの入った階段、活字、筆跡・・・・・・ 誰かがぼくのところに人を連れてくれば、ぼくは会ったし、声も聞いたが、その人全部は見えなかった。 ぼくには髪が見えた、目が見えた、鼻が、口が、あごが・・・・・・でも顔は、見えない。 それが今では、顔全体が見える。 ひとりの人全体が見える。
 こういうふうに、人と違う知覚上の困難がある人に関して、人々は理解していないとぼくは思う。
 <中略>
 めがねをかけるようになってから、ぼくには、ほしくてたまらなかった視力と、聴力が手に入った。 今では知覚の変動 (波) はもうない。 ぼくは、めがねをかけている限り、大丈夫だ。 ぼくにはやりたいことや好きなこともある。 ぼくはこのめがねが好きだが、あらゆる知識を追求してみたいとも思っている。 でも新しい知覚に慣れるのに、ぼくにはまず時間が必要だ。 ぼくは、初めて視力と聴力を与えられた人にように、過ごしている。

アレックス



Tinted Lenses
© Donna Williams

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by sadomago | 2006-07-12 12:26 | 心と視力・光療法


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