2006年 01月 03日
帯津三敬病院長 帯津良一 『がんの養生学』 http://www.yomiuri.co.jp/adv/saizensen2002/12/kityou_m.htm 養生学の視点で、がん治療の現場からお話しします。 九〇年代に入って、米国で「がんの罹患率」、「死亡率」が少しずつ減ってきています。この原因について、アンドルー・ワイルさんは即座に「禁煙が徹底してきたからだ」と言いました。ほかにも、「野菜を多く食べるようになった」、「年間の野菜の消費量が増えてきた」ということを挙げている方もいます。どちらにしても、ライフスタイルに対する配慮が大きな要因になっていると感じている人が、多いようです。 私は三つの理由に思い至りました。 一つは、今の禁煙に代表される、ライフスタイルに対する人々の配慮です。日本でも最近強く感じています。私は日本ホリスティック医学協会というところに所属していますが、このホリスティック医学協会で昨年、「生活習慣病予防史」という通信教育を始めました。この応募者が非常に多く、皆さん、こんなに関心を持ってくださっているのかと、驚いたわけです。 私の病院では、栄養士の幕内秀夫さんが、がんの患者さんに食事の指導をしています。彼は食養生に視点を据えた「粗食のすすめ」という優れた本を著しました。これがものすごく売れています。彼は今までも食養生の本を随分書いてきましたが、これまでの本は売れなかった。このシリーズからなぜ売れ出したかがわからず、書いた本人が目を丸くしていますが、背景には、やはり生活スタイルへの配慮や、養生への関心の高まりがあるのではないでしょうか。 これらの動きには、自らを癒(いや)す、という意味があると思います。 二番目が、「代替療法」という言葉です。「オルタナティブ・メディスン」の日本語訳ですが、代替療法の台頭、そして統合医学への流れが、医療の現場でかなり明確になってきていると思います。 近代西洋医学はオーソドックスな医学です。これ以外の治療法を全部「代替療法」と呼びますと、欧米では中国やインドの伝統医学も、代替療法に入ります。日本や中国など、これらの伝統医学が生活に結びついている地域では、受け止め方は少し違うかもしれませんが、どちらにしても近代西洋医学以外の治療法が、世界的に少しずつ行き渡ってきています。 私の病院の患者さんを見ていても、病院でやってくれる西洋医学の治療法だけで済ませている人は少ないのです。大体が何かの代替医療を取り入れている。世界的に目を向けると、医学部教育の中に、特に大学院が中心ですが、代替療法を組み入れるところも増えています。例えばアンドリュー・ワイル医師のいるアリゾナ州立大学は有名ですし、サンフランシスコのカリフォルニア州立大学も盛んにやっております。それから、ロンドンのウエストミンスター大学。オーストラリアでは、メルボルンにあるスインボルグ工科大学。そういう大学が代替医学教育に熱心で、この教育が根づいてきている印象を強く受けます。 日本では、まだそこまで行っておりませんけれども、聖マリアンナ大学や慈恵医科大学に、代替医学を学ぶセクションができてきております。 代替療法というと、科学的でない、何となくいかがわしさがある、西洋医学の下に位置する、などの印象があるかもしれません。しかし、米国立衛生研究所(NIH)に「代替療法研究室」ができたのは一九九二年だったと思いますが、そこのダニエル・エスキナッチさんは、代替療法の共通項をスピリチュアル、「霊的」という言葉で表現しています。また、ウエストミンスター大学の代替療法部門の教授であるデビッド・ピータースさんが先日、来日し、人間の健康を体、心、命という要素に分けると、西洋医学は「体」に対して一生懸命かかわろうとする。「命」の方にかかわってゆくのが代替療法だ、と語っていました。代替医療は、西洋医学の下に入るのではなく、医療の中ではこれと並んで、より重要な役割を果たして行くことになると、私は考えています。 三つ目が、サポートグループの普及です。要するに患者さんを精神的に孤独にさせないための、人間的な支援体制です。がんなど、治りにくい病気にかかった患者はどうしても孤独になりますから、そのこころにできるだけ手を差し伸べて、孤独感を取り払ってあげる、こういう支援の仕組みが、世界的に行き渡ってきました。 もちろん近代西洋医学のがんの治療法も、進んできていますので、これだけというわけではありませんが、私はこの三つの出来事が、米国、そして先進各国で起きている変化の主な原因だと思います。 三つに共通しているのは「癒し」ということです。ライフスタイルは、自分で自分を癒すことだし、代替療法は、場の癒しだと思います。またサポートグループも、ねらいは人の癒しです。私は癒しの復権と言っておりますが、もともと医療はいやしの場だったのですが、西洋医学が短期間に急速に進歩したために、「治し」というものに主役を交代してしまった感がありました。そこへ本来の姿をと、癒しの医学が復権してきたのでしょう。 治療行為をさす「治し」は、機械工学と同じで、物を修繕するわけです。体の部分の故障を治してゆく。これは外科の手術なんかを思い出してもらえば良いと思います。一方「癒し」は、哲学者の中村雄二郎さんの言葉をかりれば、「存在全体を、あるべき姿に戻すこと」と言うことになります。存在全体、人だったら人間全体をあるべき姿に戻すことが、「癒し」です。ということは、医療全体から眺めれば、「癒し」が本来で、「治し」とは、局所的な治療としてそれをサポートする役割に当たる、と考えられます。 自然科学では、自然現象を把握するのに「階層」という考え方を使います。素粒子から分子、そして巨大な宇宙の構造まで、それぞれの「階層」に応じた法則があり、階層を超えると別の体系が必要になる、という考え方です。 医学の現場で見てみると、癒しは「人間の階層」にあって、治しの方は「臓器という階層」にある。それぞれ所属する階層が違うといえます。がんの治療効果をあげるには、臓器の階層を相手にする「治し」だけでなく、人間の階層の医学を構築しなおす必要があり、「癒し」を重視することが大切になります。この領域で、漢方医学などの伝統医学がどのような役割を果たせるか、興味を持って見ています。 漢方薬にしても、鍼(はり)、灸(きゅう)にしても、非常に大きな可能性を秘めています。ヨーロッパでも、ホメオパシーや、シュタイナー医学など、体系的な伝統医学が現在も根強い支持を受け、人間の階層の医療を試みています。 この百年間、西洋医学は非常に大きな功績を残しました。体系医学としてこれ以上のものはありません。これは評価しなければならないけれども、西洋医学の場合は、研究が進めば、階層をだんだん低い方向に深めてゆくという特性があります。例えば遺伝子治療は、人体の細胞の中の、さらに核の中の遺伝子へ入って病気の根源を治そう、という試みです。しかし、階層を深めていっただけでは、なかなか「人間のがん」を治すことにはならない。遺伝子の階層まで一たん深く入って、その研究成果を持って、また人間の階層に戻ってこないと、実際の生きている人間を癒す臨床医学には結びつかない。西洋医学は、そこまで行かなければ役立たないと思うのです。 こうした状況を解決するべく、既存の西洋医学も人間の階層に入り込もうとしています。例えば免疫学です。臓器の階層でリンパ球とかマクロファージ、サイトカインなどのふるまいを研究しています。これを統合して、人間の階層に向けて、階層を一つあがろうと大きな努力を続けています。 一方、漢方医学、インドの伝統医学など、それぞれの民族が培ってきた伝統医学は、人間の階層での医学を目指していますが、人間の階層での科学がまだ十分進歩していないので、これをなかなか評価することができない。 私がやっているホリスティック医学というのは、人間を丸ごと見る医学。人間の階層での医学をねらっているわけですけれども、まだまだ「医学」と言うにはおこがましいくらい、科学的な装いはできていません。 東大名誉教授で免疫学の多田富雄先生が、あるシンポジウムで、代替療法のことを「エピメディスン」と呼んだらどうかと話されていました。「代替」という言葉は「オルタナティブ・メディスン」の訳語ですから、間違いではないのですが、「代替」という呼称が気に入らない人が多いからでしょう。漢方医学を活用する医師たちにも、「我われは伝統医学であるのに、代替と呼ばれちゃ困る」と言う人が多い。そこで多田富雄先生は、「エピメディスン」と呼んだらどうかと提案されたのだと思います。 エピ(epi)というのは、ギリシャ語の「上」という意味のようですが、「上の医学」、「上の階層の」であるという意味になります。代替療法をそういう視点でとらえているのだと思います。 まだ科学的に全部解明できていないから、代替療法なのです。解明できた途端に、通常の医学に入るわけです。従って、科学的に解明されていない部分、領域をしっかり抑えたうえで、そこを承知で人間の領域の医学として活用すれば良いと考えます。 科学的にわかっていないことまで、わかったような顔をすると、いかがわしくなります。だから、科学的に分かっている点、未解明の点をしっかり把握した上で、いやしの医術として、治療の現場に積極的に導入することができる思います。これからのがん治療は、多様化、個性化が進むでしょう。その中で、人間の階層で患者に触れ合うことができるエピメディスン、代替医療は、活躍の場がより拡大して行くと思います。 ここで、そういう代替治療を進める医師はどんな資質を問われるか、それが問題になります。 西洋近代医学のように十分な客観性、再現性がありません。科学的に解明された部分が少ない癒しの世界の医療では、客観性、再現性はどうしても乏しくなります。これを扱う人たちが十分な資質を身に付けた上で、しかも精神的に充実していなければならない。これが大事なことです。私は臨床現場でこれを痛感しています。 人間の階層での医学、「ホリスティック医学」あるいは、「癒しの医学」と言ってもよいですが、これを遂行する人たちには、第一にパワーがなくてはいけない。相手の心身を引き上げていくようなきちんとしたパワーを、いつも身につけていなければならない。頭で考えた知識と手で覚えた技術だけで事足りる、というわけにいかないのです。 二番目に、「バルネラブル」という能力、態度が必要になします。「傷つきやすい」「弱々しい」と訳させてもらいますが、要するに相手と同じ高さに立って、相手の痛みを十分理解して、相手を引き上げなければいけない。上の方から引き上げていたのでは腰が入りませんから、パワーが発揮できません。だから、一たん患者のおかれた状況と同じ一番下までおりる。この弱々しさと、一方で力強さを兼ね備えた人が、医療者に必要な資質だというわけです。 そしてもう一つは、メメント・モリ、「常に自身の死を思え」ということです。 本当の力強さと弱々しさを身につけるためには、やはり自分の死から目をそむけてはいられない。「自分の死のことなんか考えたことがない」という人では、医療者は困るわけで、自分の死を折に触れて考えて、そして、自分の死の意味を常に追求している、という日常があって、初めて良い医療者が生まれると思います。 ですから、「パワフル」、「バルネラブル」、「メメント・モリ」の頭文字を取って、私は「PVM」と言っています。PVMを医療者が果たして行けば、これはその医療者にとっても、一つの優れた養生になると思います。結局、癒しの世界では、治療も養生のうちなのです。 養生とは、「命を正しく養うこと」です。命を正しく養うということは、病後の回復を早めたり、天寿を全うするだけではなくて、優れた人生を生きるという、もっと積極的な意味があると思います。 具体的な養生の方法について考えてみます。食の養生、心の養生、気の養生の三つに分けます。この三つとも、免疫と深い関わりがあります。 免疫というのは、自己と非自己を分ける能力です。しかし自己と非自己を分けて、自己が閉じこもるのではなく、自己が非自己の中へつながって、広がって行く、その大切な手がかりに思えるのです。自分と世界を分けて、その後に、周囲の環境、地球、そして宇宙という世界に自己を拡散してゆくことは、先ほどの話で言えば、階層を上へ向かって昇って行く作業でもあるのです。 食の養生もそうです。腸管の中というのは一つの宇宙ですし、一つの秩序を持って、細菌相が働いて秩序ある空間をつくり、自分の生命を支えているわけです。そこの生命力を持ち上げてゆくのが、食養生だと思います。そこで大切なものは、季節の恵み、旬を食べるということです。 植物や、魚介類の旬のものは、大地や海洋がそのまま生み出してくれたもので、一番エネルギーを持っているのです。それが食養生のキーワードになってきます。食養生は、食材だけではありません。食べるときのうれしさとか、おいしさというものが、人間の生命のエネルギーを高めるわけですから、当然、食材だけで食事を云々することはできません。 それから、気の養生。気というのは中国伝統医学の考え方で、先ほど申し上げましたように、各階層を貫く一つの情報のようなものです。気の養生法として一番簡単なのは、気功です。またヨガもありますし、呼吸と体の動きを合わせたものは、みな気の養生法となります。 私の病院でも、いろいろな気功をやっていますが、その中でも私は太極拳を評価しています。太極拳はもともと武術ですから、攻撃と防御があります。攻撃と防御というのも、やはり人とのつき合いです。憎しみ合って相手を倒すのではなくて、攻撃と防御の姿勢の中で人と縁ができ、つながりの中で相手と切り結ぶ。そのイメージが、宇宙の果てまでつながってゆけば良いわけです。もう一つ、太極拳のよさは、十分間ぐらいで終わることです。その十分間を自分の一生になぞらえることもできるわけです。これを一期一会とばかりにしっかりやる。こうして気の養生を果たして行くのに、太極拳はとても役立つでしょう。 こうした気功法や太極拳を、何のためにやるのか、禅宗の白隠禅師のエピソードを紹介します。 白隠禅師は、厳しい禅の修行をして、ご自分が身体を壊された。また、周囲に体を壊すお坊さんが多いので、「呼吸法」を勧めました。僧侶が呼吸法を一生懸命やって、体を丈夫にしていく。すると白隠さんは、自分がそれを勧めていたのにもかかわらず、「そんな呼吸法ばかりやって長生きしようと思ってもだめだ」と、また叱るのです。 中国古代の伝説上の仙人で、八百歳まで生きた膨祖という人がいたが、その膨祖にしても、結局もう死んでいるではないか。いくら長生きしようとしたって限りがある。それよりは、生きながらにして虚空(宇宙)と一体となって、金剛(ダイヤモンド)のように輝きが消えない「仏の心」を手に入れなければならない、そのために呼吸法をやるのだ――と、説いたのです。何のために養生法をやるのか、それを強調しておきたいと思います。 さて、心の養生ですが、心も上の階層に向かって開いて行きます。「明るく、前向き」という心も、上の階層に向かっているとは思いますが、明るくて前向きだけでは十分ではありません。 密教仏教の開祖、天台大師が書かれた「天台生死観」という本の中に、呼吸法の要諦として、「身体を寛放せよ」ということが書いてあります。寛放とは、解き放つ意味です。体を宇宙の果ての虚空に向かって開いて行くわけです。「天台生死観」には「身体」と書いてありますが、これは現代の「心身」という意味です。心も体も寛放すること、これが心の養生だと思います。宇宙の果てまで開くわけですから、当然、自分の死や死後の世界も全部入って来ます。自分の死も、死後の世界も視野の中に入れる、心身を寛放する、すなわち養生には、死生観を超えることも含まれるわけです。 食の養生、心の養生、気の養生を簡単にお話ししましたが、最初からすべてできなくても、志を持って、しっかりやって行くことが大事だと思っています。 人間の健康の状態には、いくつものレベルがあります。あるレベルから落ちてきたのが病気ですが、病気と健康は、はっきり二色に分かれるものではありません。果てしない上の方に百点満点の健康があって、一番下に百点の病気があって、この間にみんな位置している訳です。色々ななレベルのところに、ちょうど頂上を目指して山へ登っている人たちがいて、それぞれキャンプを張っているように、みんなが常に本当の健康を目指した前進して行きます。現状に満足しないことが養生だと思います。 その過程で、がんとどのように折り合うか、共生するのかを試みる、こうした心がけを勧めたいと思います。私の病院で色々な患者さんを見ていますが、いくつかの治療法を試みたら、腫瘍が消えてしまうという人は、そんなには多くないのです。しかし、あるところで病状が進まなくなる人は、たくさんいます。まさに共存し、折り合っているのです。これが養生ではないかと思います。 努力していっても、人間いつかは死ぬわけです。しかし、その死についても、メメント・モリ、折に触れて考えて行かなければいけない。養生の旅の中で、上を目指しながらポンと倒れる、というのが、一番良い死に方ではないでしょうか。 夏目漱石が「野分」という小説の中で言っています。「理想の大道を行き尽くして、途上に倒るる刹那に、我が過去を一瞥のうちに縮め得て、初めて合点がいくのである」。要するに理想を追い求める、養生をしっかりやっていって、その途中でバタリと倒れる。倒れる刹那に我が過去、自分の一生が一瞬のうちに全部よみがえってくるというのです。養生を果たしながら、ポンと倒れるというのも、また養生の内だと思います。 最後に、私の好きな言葉を紹介します。 中国・三国時代の魏の曹操の詩に、「老驥(ろうき)は櫪(うまや)に伏すとも、志は千里にあり。烈士は暮年にも、壮心已(や)まず」とあります。 老驥は年とった名馬です。年とった名馬はうまやに横たわって、もう疾走できないが、志は千里の遠く疾走している。そういう志を持った烈士は、年をとっても若い心を失わない。 これが養生の神髄だと思います。
by sadomago
| 2006-01-03 23:22
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