2005年 11月 28日
レイライン
レイラインハンティング
http://www.ley-line.net/
レイラインとは?
http://www.ley-line.net/01.html

聖地とされる小高い丘に登り、周囲を見渡す。
すると目の前に、先ほど訪ねた丘が見える。
さらにその先におぼろに霞んだ丘が見渡せる。
そこも古代から人々に崇められてきた場所だ。
...ふと、不思議なことに気づく。
遠くに見える丘は、目の前の丘と、今、自分が立つ場所を結ぶ
その直線の上に位置している...。
地図で確かめると、直線はどこまでも伸び、
その上には数え切れないほどの「聖地」が並んでいる。
聖地を結ぶこの直線を「レイライン」と呼ぶ。
いったい、いつ、誰が、何の目的で、大地にこのラインを刻んだのか?
それは、もしかしたら、太古に人類が獲得しながら、
いつしか忘れ去られてしまった叡智を示しているのかもしれない。
我々がその存在を忘却し、しかし、今いちばん必要とされている叡智を...。
「地球は、まだまだ驚きに満ち溢れている」

 レイラインという言葉は、イギリスで生まれたもので、「レイ」とは「光」のこと。光が一直線に進むように、聖地を刺し貫くことからそう呼ばれた。 また、最初にこのラインを発見(再発見)したアマチュア考古学者のアルフレッド・ワトキンスが、ライン上に、 「レイ」という名の付く地名が多いことからそう名づけたともいわれる。

 イギリスでは、ワトキンスの報告以降、レイラインを見つけ出し、そこを訪ねて、太古の歴史を探る「レイラインハンター」たちが多く存在している。 イギリスでは、レイラインの多くは、ケルトあるいはそれ以前の時代にまで遡る遺跡を結んでいるといわれ、 そこには、ストーンヘンジや、ミステリーサークルの出現地なども含まれている。

 レイラインは、イギリスの専売特許ではなく、世界各地で、あるいは国の境を越えた長大なラインも報告されている。 もちろん、日本でもいくつもレイラインと思える聖地を結ぶ直線が見つかっている。

 日本で代表的なものといえば、奈良の長谷寺、三輪山、桧原神社、国津神社、箸墓が線上に浮かぶ「太陽の道」や「御来光の道」がある。 「御来光の道」は、春分の日と秋分の日に、太平洋から登った曙光が貫くレイラインで、 その線上には、千葉県の上総一の宮、神奈川の寒川神社、静岡の富士浅間神社、富士山頂、日蓮宗の霊山として名高い七面山、 琵琶湖の中に浮かぶ竹生島、大山、出雲大社の北に位置する日御崎神社と、名だたる聖地が並ぶ。

 レイラインの多くは、春分の日や秋分の日、冬至、夏至といった日の太陽に関係している。 そのことから、これは太古の人たちが暦として利用したのではないかといった説もある。 だが、「御来光の道」では、人間が築きようもない自然地形が多く含まれる上に、規模が大きすぎて、「暦」説には当てはまらないだろう。

 日本国内でレイラインと考えられるものは、他にも多数ある。中には、北斗七星の形に聖地が配列されていたり、 鬼門や裏鬼門、四神相応を連想させる配置など、陰陽道や風水の影響を受けていると思われるものも多い。 陰陽道や風水といったものは、太古からのプリミティヴな信仰を経験則に基づいて体系化していったものだから、根を辿れば、他のレイラインと共通する部分も多いはずだ。




浮かび上がる五芒星の謎
http://www.ley-line.net/motoise/motoise_08.html
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 近畿地方の相互に関連する聖地を結ぶと現われる五芒星。五角形の一辺は約110kmでそれに内接する五芒星の一辺は約180km。
 五角形の上辺は、「御来光の道」の一部を成し、五芒星の中心では、富士山‐伊弉諾神社、出雲大社‐伊勢内宮を結んだそれぞれ約350kmのライン、そして熊野本宮‐明日香京‐平城京‐平安京ラインが交差する。
 いったい、誰がこんな「設計図」を引いたのか?


 前の項で、京都の北に現われたトライアングルと伊勢‐元伊勢ラインの関連について紹介したが、ここでは、もう少し俯瞰的に眺めて、そこに現われてくる巨大なレイラインを検証してみよう。

 まずは、上の図を見てほしい。近畿地方の著名な聖地、淡路の「伊弉諾神社」、元伊勢、伊吹山、伊勢内宮、熊野本宮を結ぶと現われる五芒星を中心に、他の聖地との位置関係を見たものだ。この五芒星はその中心に平城京を持ち、伊弉諾神社と伊勢内宮を結ぶ辺との交点に明日香京、さらに五芒星がその中に描き出す正五角形の頂点には平安京が位置する。また、明日香、平城、平安と結ぶラインは熊野本宮まで南北に一直線に貫いている。

 さらに、太平洋岸の上総一ノ宮玉前神社から出雲大社までを一直線に結ぶ「御来光の道」と元伊勢‐伊吹山ラインは重なっており、さらに御来光の道のもっとも重要な聖地である出雲大社と富士山から引いたラインがその中心点で交差するところを見ると、五芒星が御来光の道を意識して設計されたことが推測できる。

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★五芒星の京都付近をアップしてみる
御所、貴船、比叡山を結ぶトライアングルは、御所‐貴船が五芒星の中心を貫く南北ラインに一致。御所‐比叡山は、伊弉諾‐伊吹山ラインに一致。貴船‐比叡山ラインは、伊勢‐元伊勢ラインと平行する。桓武天皇は、明らかに五芒星が持つ強力な力をバックボーンとして平安京を計画した


 ぼくは、今年の春分の日、御来光の道の東端、玉前神社で夜明けを迎えた。そこでは、東を向いた参道の先から太陽が昇り、一の鳥居を赤々と浮かび上がらせ、さらにその影が二の鳥居を潜っていく劇的な瞬間を目撃した。

 秋分の日の夜明けは、御来光の道西端の出雲大社で迎えた。ここでは、社殿は南を向き、太陽はちょうど東門の先の山入端から上り、西門の方向に、入れ代わるように月が沈んでいった。ここでは、玉前神社のような明確な「仕掛け」は見つけられなかったが、やはり、春分と秋分の日が特別な日として意識されていることは感じられた。

 御来光の道の上には、数々の聖地が並ぶ。それは人工的なものだけではなく、富士山、七面山、伊吹山、竹生島、大山といった自然が造形した霊地も含まれる。それは、もともと宇宙の営みと大地の営みがシンクロしていて、それが一直線に並ぶ聖地・霊地として現われたものかもしれない。

 古代の人たちは、そんな宇宙と自然のリズムを良く知っていて、それをベースに、さらにその力を利用する「仕掛け」を使って、都市計画を行ったのではないだろうか?

 前項で、陰陽道に通じた桓武天皇が、自らが恐れる早良親王の怨霊を封じ込めるために、徹底的な陰陽=風水的仕掛けを施したことを紹介した。桓武天皇の時代には、御来光の道と五芒星を形作る人造の聖地は、すべて揃っていた。当然、桓武天皇はその存在を知り、これを最大限に利用することを考えただろう。

 五芒星は陰陽道では、陰陽五行の「相生」と「相克」を同時に表している。外側の五角形を形成するそれぞれの頂点が、木、火、土、金、水に対応し、五角形の辺で結ばれた隣の頂点は、互いに生かしあう「相生」の関係にある。そしてその内部に描かれた五芒星を見ると、一つの頂点から一筆書きしたときに、次に来る頂点は、前者が後者に「克つ」関係にあり、五芒星を描く循環の中で、常に克ち続けることを表している。つまり、五芒星は、終わることのない無限の循環、永遠の生命、永遠の繁栄を表している。


― 相生 ―
木は、燃えて火を生かす
火は、万物を土に還す
土は、その内に金を育む
金は、水を集める
水は、木を生かす
これは生かし続ける循環を表す


― 相克 ―
木は、土から養分を吸い取る
土は、水を堰きとめる
水は、火を鎮める
火は、金を溶かす
金は、木を断ち切る
これは克ち続ける循環を表す

 すると、最初に掲げた図は、御来光の道が秘めた宇宙的力を五芒星の中へと呼び込み、それを永遠に循環させるテクノロジーそのものといえるだろう。

 伊勢と元伊勢を結ぶラインから、話がずいぶん広がってしまった。この大地に描かれた五芒星と、そこに配置された聖地の詳細は、また改めて調査して、結果を報告したいと思う。


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by sadomago | 2005-11-28 23:06 | とりあえずノンジャンル


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