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2005年 11月 10日
あなたは答えを知っている
「神との対話」-宇宙的な真実について-<普及版>(5)
著者 二ール・ドナルド・ウォルシュ
訳者 吉田利子
2001年3月15日 初版印刷
2001年3月30日 初版発行
株式会社サンマーク出版


P39~
あたなは、答えを知りたいと言う。だが、答えを知るという選択をしていない。選択していないのはわかるね。なぜか。答えを知るという経験をしていないからだ。じつは、あなたは答えをしっているのだ。ただ、知るという選択をしていないだけだ。答えを知らないと信じることを選択している。だから、答えがわからない。
ええ、それも第一の対話にありましたね。選択さえすれば、たったいま、すべてをもてる。神についての完璧な理解さえももてる。だが、自分がそれをもっているとわかるまでは経験できない。
そのとおり!完璧だ。
しかし経験できなくて、どうしてわかりますか?どうして経験していないのに知ることができますか?「知るとはつまり経験することだ」と言った偉人がいましたよね?
彼は間違っていた。経験のあとに知識が来るのではない。逆だよ。世界の半分は勘違いしている。
それじゃ、わたしのは第2の質問の答えを知っているとおっしゃるんですね。ただ、知っていることを知らないだけだと。だが、知っていることを知らなければ、知らないのと同じですよね。
そう。パラドックスだね。
わからない・・・だけど、わかっている。
そのとおりだよ。
それじゃ、「知っていることを知らない」状態から、「知っている」状態になるには、どうすればいいんですか?
「知っていることを知るためには、知っているかのように行動すること」だ。
ここで、いままでの教えをおさらいしようか。「たまたま」ちょうどいい質問が出たからね。さて、第一の対話では、存在 - 行為 - 所有 というパラダイムと、ふつうはそれが逆に考えられていることを話したね。
ほとんどに人は、何かを(もっとたくさんの時間や金や愛などを)「もって」いれば、何か(本を書く、趣味を楽しむ、休暇旅行、マイホームを買う、人間関係を築くこと)ができる、そうすれば何かに(幸せに、安らかに、満ち足りた、愛情深い人間に)「なれる」と信じている。
とことが、彼らは 存在 - 行為 - 所得 というパラダイムを逆転させている。じつは宇宙では「所有」が「存在」にはつながらない。逆なのだよ。
まず、「幸せ」(あるいは「知っている」「懸命だ」「優しい」)という状態になりなさい。その状態から、「行為」を始める。そうすれば、まもなく自分の行為が、結果として「所有したい」と思っていたものをもたらすことに気づくだろう。
この創造的プロセスを始動させるには(これはまさに創造のプロセスなのだが)、自分が「所有」したいものを見つめ、それが「もてたら」自分はどう「なる」だろうと考え、その通りになりなさい。
そうすれば、いままでの 存在 - 行為 - 所有 というパラダイムを逆転させられる。パラダイムを正しく使って、宇宙の創造的な力を働かせることができる。
この原則を要約すると、こうなる。人生で、しなければならないことは何もない。問題は、何であるかということだけだ。
これは、対話の最後にもう一度とりあげる3つのメッセージのうちのひとつだ。このメッセージで、この本を閉じよう。
たとえば、もう少し時間があれば、もう少し金があれば、もう少し愛があれば、ほんとうに幸せになれるというひとを考えてごらん。





彼には、いま「あまり幸せではない」という状態と、欲しがっている時間や金や愛をもっていないこととのつながりが理解できないんですね。
そのとおりだ。いっぽう、「幸せでいる」人は、大事なことをする時間、必要なだけの金、一生続くだけの愛をもっているように見える。
そのひとは、自分は「幸せでいる」のに必要なすべてをもっていると思っている・・・・「幸せでいる」ことが先なんだ!
まさしくそのとおり。前もって、「こうあろう」と選ぶと、それが経験できる。
「あるべきか、あらざるべきか。それが問題だ!」
まさにそのとおりだ。幸せというのは、精神の状態だ。精神の状態はすべて、物理的なかたちで再生産される。こう書いて、冷蔵庫のドアに貼っておくといいね。「精神状態はすべて、再生産される」
でもどうしたら、はじめから「幸せ」であったり、裕福であったり、愛されている状態になれるんですか。だって、そうなるのに必要なものをもっていなんですよ。
もっているように行動しなさい。そうすれば、それが引き寄せられてくる。そうであるように行動すれば、そうなれる。
言い換えれば、「実現するまではそのふりをしろ」ってことですね。
まぁ、そんなものだな。ただし、「ふりをする」わけにはいかないね。行動は真剣でなければならない。なんでも行動は真剣にしなさい。そうでないと、行動のメリットは消えてしまうよ。
べつに、わたしが「ほうびを与え」ないからではない。神は「ほうびを与え」たり、「罰し」たりはしない。
だが、身体と精神と霊魂が思考と言葉と行動のなかで統一されてはじめて、創造のプロセスが始まる。それが自然の法則だ。
自分の精神はごまかせない。真剣でないことは、自分がよく知っている。それでは、精神が創造のプロセスに役立つチャンスは消えてしまう。
もちろん、精神なしに創造することもできる。だが、これはむずかしいぞ。精神が信じていないことを、身体にさせなければならない。それを長く続けていると、精神が以前の考えをすて、新しい思考を創り出す。新しい考えが創られれば、やがては行動として表現するだけではなく、存在の一部として生み出される。
これはむずかしい方法だし、その場合でも行動は真剣でなければならない。人間はあやつれても、宇宙はあやつれない。そこで、微妙なバランスが必要になる。精神が信じていないことを身体がするのだから。しかも身体の行動に真摯さが加味されなけれれば、うまくいかないよ。

身体がすることを精神は「信じて」いないのに、真摯さを加えたりできるんですか?
個人的な利益という、利己的な要素を取り除けばいい。
どうやって?
行動すれば選択したことが実現するとは信じられないかもしれない。だが、神があなたを通して他者に善をなすのだと決意することはできる。だから、自分のために選んだことを、ひとにしてやればよろしい。
もう一度、言ってくださいませんか?
 いいとも
自分のために選んだことを、ひとにしてやればいい。
幸せになろうと思うなら、ひとを幸せにしてやりなさい。豊かであろうとするなら、ひとを豊かにしてやりなさい。もっと愛が欲しいのなら、人を愛しなさい。
それも、真剣にすること。自分の利益のためではなく、ほんとうにひとのためになろうと思うこと。そうすれば、すべてはあなたに返ってくる。
どうしてそうなりますか?どんなふうにして、そうなるんですか?
何かを与えると、自分がもっているものを与えるという経験ができるからだ。自分がもってもいないものを与えることはできない。だから、精神は自分について新しい結論を出す。新しい考え方をする。自分はもっているにちがいない、そうでなければ与えられはしないから、と
この新しい考え方があなたの経験になる。あなたの状態になる。いたんその状態になれば、宇宙でもっとも強力な創造のマシンが動き出す。神聖な、あなた自身というマシンが。そこで、あなたはその状態を創造しはじめる。
これで円は完成し、あなたはもっともっと多く創造する。それが、物理的な存在としてのあなたのなかに現れる。これが人生の最大の秘密だ。
すみませんが、説明してください。どうして、自分のために選んだものを人に与えるとき、真剣でなければならないんですか。
下心があって、自分が手に入れる方便としてひとに与えると、あなたの精神にはそれがわかるからだ。いま、自分がもっていないから、だから与えるんだとね。宇宙は巨大なコピー機だから、あなたの考えを物理的なかたちで、つまりあなたの経験として再生する。そうすると、あたなは、「もっていない」状態を経験しつづける。何をしようと関係なく!
さらに、与えようとする相手も同じ経験をする。あたなが何かを求めているだけだ、じつは与えるべきものをもっていないとわかる。そうすると、与えようとしても、実体のないジェスチャーにすぎなくなり、あさはかな利己心が丸見えになる。
こうして、あなたは引き寄せようとするものを、押しやってしまう。
だが、純粋に心からひとに与えれば、相手が欲し必要としている、もたせてやるべきだと信じて与えれば、自分に与えるべきものがあるとわかるだろう。
それは偉大な発見だよ。






by sadomago | 2005-11-10 05:42 | 神との対話


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