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2005年 11月 05日
結果よりもプロセスが重要
「運命の法則」幸運の女神とつきあうための15章
天外伺朗 (Tenge Shiro)

2004年 11月25日 第一刷発行
2005年  2月19日 第六刷発行
株式会社 飛鳥新社

結果よりもプロセスが重要

 ソニーのトリニトロンといえば、映像の美しさで定評があり、かつては何十年のもわたってテレビの王様として君臨してきた。
 もうずいぶん昔の話だが、ソニーはカラーテレビへの参入が遅れ、しかも最初に採用した技術に欠陥が多く、倒産の危機に見舞われたことがある。その難局をやっとの思いで乗り越えて、トリニトロンが完成した。
 そのとき、当時の社長だった井深大氏がしみじみとつぶやくのを偶然聞いた。
「ああ、やっぱりビジコンをやっていてよかったな・・・・」
この何気ないひとことは、なぜか私の耳にこびりついていたが、その深い意味に気付いたのは、それから20年もたってからだった。

 ビジコンというのは、テレビカメラの心臓部である撮像管のことだ(今日のCCDやCMOSなどの固体映像素子が発明される以前の話)。ソニーでは、その数年前まで必死に開発に取り組んでいたが、大失敗に終っていた。
 じつは、その当時のソニーには、撮像管や受像管の技術に詳しいエンジニアはおらず、手探り状態で始めたのだが、何年たっても、まともな撮像管は作れなかったのだ。
 「あれはビジコンではなくて、デテコン(出てこん)だ!」
 と大っぴらに悪口をたたかれていた。
 よりによって、その大失敗をしたプロジェクトを、井深さんはしみじみと評価したのだ。
 つまり、そのプロジェクトで人が育ち、技術やノウハウが蓄積され、それがトリニトロンの成功につながった、ということだろう。
 そのことに気付いてから、社内のプロジェクトを見る私の目は変わった。よくよく観察すると、ひとつのプロジェクトの成功の背後には、それを支えたおびただしい数のプロジェクトがあること。そして、そのほとんどは日の目を見ていない、ということがわかった。つまり、通常、陰で支えたこれらのプロジェクトは、誰にも認知されないのだ。
 ロケットにたとえれば、三段目のロケットが人口衛星の周回軌道にのるためには、むなしく燃え尽きていった一段目、二段目のブースターロケットの働きが、どうしても必要だったのだ。
 ただ、失敗したすべてのプロジェクトが、ブースターロケットになるわけではない。プロセスが問題なのだ。プロセスが良ければ、いくつかの捨て石をへて、何段目かで周回軌道に乗れる。プロセスが悪いと、次へはつながらない。これは個人の人生でも同じだ。結果よりプロセスが重要なのだ。プロセスの良し悪しの判断基準のひとつは「フロー」に入っているかどうかだ。
 またこれは、プロジェクトの評価だけでなく、人の評価にもあてはまる。
 ひとり一人の成功は、きわめて大勢の人の努力に支えられている。彼らの貢献は、よほど注意してみないと、気付くことはできない。仕事に直接関係していない人間が、じつは深層心理的には皆のマインドを支えていた、ということも十分あり得る。





破滅に向かうコンサルタント

 第6章で述べたように、バブルがはじけ、多くの日本企業は人事評価や業績評価の方法の改善に取り組んだ。そして、そのほとんどが、専門のコンサルタント会社を作った。
 コンサルタント会社は、現場のことをほとんど知らないが、頭でっかちなアメリカ流の合理主義経営のノウハウに精通しており、評価のためのマニュアルや、詳細な評価シートを提供し、公平で客観的な人事評価の方法を教授している。あるいは、「360度評価」と称して、上司からだけでなく、部下からも評価を求めて公平を期する、という方法がさかんだ。
 業績評価にしても、投下資本コストを含めて、最も合理的な評価は何か、ということに関して莫大なノウハウがある。
 しかしながら、第6章で記したように、これらの精緻な人事評価や業績評価を導入した企業が、軒並み社内の活力を低下させ、業績をさらに悪化させた。私は、それを「セーフベース」と「フロー理論」で説明したが、じつはもうひとつの理由がある。
 これらの評価法は、三段目のロケットの結果のみに注目している。1段目、2段目のロケットの貢献に気付いていないのだ。
 結局、精緻な評価法を導入すればするほど、人々は三段目のロケットで結果を出すことしか考えなくなる。1段目、2段目の役割をになって地道な努力をする人がいなくなり、その企業は周回軌道までロケットを打ち上げることが二度とできなくなってしまう。
 何のことはない。莫大なコンサルタント料を支払って、破滅に向かう指導を受けてしまったのだ。
 合理主義を追求すると、えてしてこういうことになる。
 いまの世の中は、何事によらず論理的かつ合理的に追求しなければ気が済まない。そしてすべては言語で記述できると錯覚している。合理的でない判断を「山勘」といってさげすむ傾向がある。
 ところが、本当のところは、論理や言語で記述できるのは、物事のほんの表層のみであり、宇宙の営みには「共時性」にみられるような、はかり知れない深さがある。
 その宇宙の深層部に触れるのは、論理や言語ではなく、研ぎ澄まされた直感だ。したがって、自分自身の内側からこみ上げてくる声に、どれだけ忠実に耳を傾けられるかにかかってくる。
 人事評価や業績評価でいえば、コンサルタント会社が提供する合理的な評価法を導入すればするほど、内側からの声が聞こえにくくなってしまう。
 このあたりは、「外発的報酬」を強化すると、「内発的動機付け」が抑圧され、「フロー」に入りにくくなる、と言うのに似ている。

by sadomago | 2005-11-05 22:49 | 啓示・気付き


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