2005年 11月 01日
「光の医学」 ジェイコブ・リバーマン
 エネルギーのレベルでは、恐怖や怯えを感じると私達の身体はすべて閉じたり縮んだりし、経験を消化したり同化したりすることができなくなる。エネルギーは突然せきとめられ、「にっちもさっちもいかなくなる。」そのとき、息をとめていたりするかもしれない。息を止めていれば生命力は流れない。ものすごく恐ろしい体験をすると私達は、心や体と同時にエネルギーをその場でせき止めてしまう。こうした体験につながる苦痛を二度と感じたり、味わいたくないからだ。フロイトもストレスが呼吸に与える影響を認めてこういっている「両親にどなられるとき、私たちは息を止める。」
 身体レベルでは、体内をめぐるエネルギーの流れが遅れたり止まったりすると、対応する器官や筋肉の中に毒素がたまり、生理学的な機能不全や不安が生まれ、ひいては病気になる。病気は、体の特定の生理機能のエネルギーの流れが滞った果てに起きるものなのである。
 心のレベルでは、精神的外傷を与えた事柄を記録する部分がこうした特別な出来事につながる痛みや記憶を二度と味わわないようにするためにドアが閉じられる。知覚的に呼び戻すためには眼の特定の動きが引き金として使われるので(第2章参照)、恐怖に対して、人は一つの凝視のパターンをつくり出す。すなわち防御のメカニズムとして、特定の眼の動きを禁じて代わりに頭をくまなく動かすのである。ずっとこうした形の凝視を行い、いつも眼の動きをしないでいると<乱視>の状態になる。たいていの眼科医は乱視が角膜の湾曲によって起きるといっているが、私の診察経験からは、こうした湾曲の差が実際に乱視の<原因>にはならないことが多い。これはふだんの眼の使い方から生まれる物理的な<結果>である。明らかに、私たちのふだんの感情の対応は肉体的なものの見かたに影響をあたえているのだ。

受容性の減少

・・・・朝の光(スペクトルの赤の端)と夜の光(スペクトルの青い端)のどちらかの成分に対する「アレルギー」があるのだろうか?サングラスを常用する人はどうなのか?サングラスも黄色やピンク色だと明るく見える(刺激する)し、青色や褐色だとくすんで見える(弱める)。一方黒色と白色の両極端の中間にあるくすんだ灰色ならば、もっと均一にすべての波長の光量を減らす。いつもサングラスをかけるというのは、受け入れたくない(=未解決の問題を再び思い出せるような)スペクトルの領域を、心が無意識のうちに「締め出そう」としているのではないか?ダービィッド・クーパー博士は最近、眼が光の特定の波長を選んで吸収したり反射したりすることに気づいた。これは人によって著しく異なる。「光の物理学」と題した論文に博士は次のように書いている。

妻が喜んで実験台になってくれたので、直接彼女の瞳を測定する器具を設置した。光源の成分を測定すると、彼女の眼に実際はどの波長が「入ってきているのか」がよくわかた。彼女の眼から何が反射されているのか測定することは非常に興味深かった。反射されていたのは、ほんの2つ、3つのとても狭い周波帯の光だった。一つは可視光の黄緑色の領域、他方は赤色であった。そこで自分の瞳を調べてみると、同じような結果が得られた。違ったのは、スペクトルの赤端のある一つの狭い周波帯の光が私の眼から反射されていたことだけだった。ジェイコブ博士がたまたま市内にいたので、彼の眼でも実験を繰り返した。結果は私や妻のものとかなり違っていた。可視光の全波長に及ぶはるかに多くの光が彼の眼から反射されており、それはさながらフルスペクトルの光源のようだった。




 
人体はふるいのようなものであり、エネルギー(光)がそこを通って流れるようにできている。ある特定の経験を感知する受容性が減じると、ふるいが詰まって体内のエネルギーの流れが妨げられたり、体のその部位が閉じる原因となったもともとの経験が蘇らなくなる。
スペクトル全体の中のさえぎられている領域を治療すれば、刺激を受けていなったセンサーが目覚める。せき止められていたエネルギーは拘束を解かれ、表面に現れて分散する。これはダイバーのアクアラングから出ている空気の泡にとてもよくにている。この泡は加圧されて蓄えられているが、いったん放出されて表面に上がると、水面に届くと同時に分散する。
 光の状態がエネルギーの吸収を決定する。そして時がたつと吸収されたエネルギーは脳の循環パターンを変え、健康状態を決めることになる。色を用いて治療すると、体内の振動リズムのバランスが再調整される。
 私たちの経験はどの面をとってもエネルギーでできている。幼い頃に精神的外傷(トラウマ)を受けると、私たちの心や体はこうした経験に特有なエネルギーを受け入れなくなったり、アレルギーになったりする。このエネルギーを充分に吸収できないと、生理学的にも精神的にも、機能調整の一部が闇に置かれたままとなる。私たちは、少なくともある程度までは確実に、問題の引金となるアレルゲン(状況や人や食物等のアレルギー源)を避けることができる。しかしながら、深い治療が起こるのは、私たちの経験の中の、以前は妨げとなっていたそうした面の苦痛がなくなり、もはやアレルギーと感じなくなったときである。<啓発>(enlightenment)というのはおそらく、私たちという存在の中にある闇の領域に光をあてることなのだろう。大切な問題は、どうすると本当に治るかである。



「光の医学」 ジェイコブ・リバーマン/ 1 ( 2、 3)


「光の医学-光と色がもたらす癒しのメカニズム」 
ジェイコブ・リバーマン 
Copyright C.1991 by Jacob Liberman

日本教文社
初版発行 平成8年 7月 1日
再販発行 平成9年 5月20日
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by sadomago | 2005-11-01 07:22 | 心と視力・光療法


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