2005年 10月 22日
からだのスピリチュアリティ

からだのスピリチュアリティ
1994年6月20日 初 版第1刷発行
2005年7月20日 新装版第1刷発行
アレクサンダー・ローエン 春秋社


{文中:グレイス=自然な美しさ}
 
 かなり早い時期、生後数ヵ月で、乳児は実にグレイスフルな動きを見せる。それがもっとも明らかに見られるのは、母の乳首を吸う時に口と唇でそれを求める行為である。この動きには柔らかさ、甘美さ、流動性があり、朝日の中で花びらを綻ばす花を思わせる。口は赤ん坊の体の中で最初に成熟する。というのも、吸引行為は生命に不可欠のものだから。これと対照的に、私が今まで会い、ワークしてきた大人の多くは、唇で自由に十分に外に向かって意志を表現できない。
多くの場合、唇は緊張して硬く、顎も緊張で頑として動かない。中には口を大きく開けるのが難しい人までいる。生後数カ月で、赤ん坊は腕を伸ばし、母の体に柔らかく、優しく触れるが、この仕草はとてもグレイスフルなものである。
 ところが、遅かれ早かれ、子供達は成長の途上でグレイスを失っていく。それというのも内なる衝動に従うよりは、外からの期待に合わせるよう強制されるからだ。子供自身の衝動が両親の命令と対立するような時は、すぐに、その行ないが悪いことだと教え込まれる。その行為が続いたとすれば、その子は悪い子だと決めつけられてしまう。ほとんどの場合、非常に幼い子供の衝動や行ないは邪気のないものだ。子供はただ、自分の中の自然、本性に正直なだけである。子供が疲れて、抱き上げられ、そのまま運んでもらいたがっている光景をよく見かける。ところが母親自身疲れていたり忙しいのかもしれない、あるいは重い荷物を持っていて、子供を抱き上げることができないのかもしれない。その結果、子供は泣き出し、けっして歩こうとせず母親を困らせる。子供を厳しく叱りつけて、泣き止むよう命令する母親もいる。さらに子供がだだをこね続ければ、母親はたたくかもしれないが、そうすれば子供は余計に泣くだけだ。今まで描いた範囲では子供は衝動を抑圧していないので、グレイスを失うことはない。子供が十分に泣きわめけるかぎり、体は柔らかさを保つであろう。赤ん坊はしばしば、その小さな体を緊張させ、硬化させる原因となる欲求不満や苦痛を体験する。といっても、この緊張や硬化は長くは続かない。すぐに顎が震え始め、子供はわあっと泣き出し、その波が子供の体全体に広がると、緊張や硬化は溶けてしまう。ところが泣くことを厳しくとがめられる時がくると、子供はむせび泣きを抑え込み、涙を呑み込まなければならなくなる。ちょうどこの時にこそ、子供はグレイスを失い、ジョゼフ・キャンベルが提唱するところの「至福に従う」自由をもはや持たない人間になってしまうのだ。
 もう一つ、多くの親にとって受け容れ難い自然な感情がある。それは怒りで、直接自分達に向けられた場合には、ことに受け容れることが難しい。しかし子供は、力ずくで抑えられたり、無理強いされていると感じれば、自然と親に刃向かうものである。子供の怒りを受容できる親はほとんどいない。というのは、自らの権力とコントロールが脅かされるからである。親はあの手この手で、そのようなふるまいが悪いことで、やがて罰を受けると教え込む。・・・・親のコントロ-ルが必要なのは明らかだが、おうおうにして子供の幸せより親の都合が先行し、この葛藤は力の争いになることが非常に多い。この種の争いでは誰が勝とうが、両方が敗者である。というのは、子供がおとなしく従おうが反抗しようが、親子の間の愛による結びつきが切れてしまうからである。愛の喪失とともに子供のスピリチュアリティは犯され、グレイスがなくなってしまう。
 グレイスの喪失は、身体的現象であり、人々の動きや立っている姿の中に見ることができる。
かなりありふれた抑うつの訴えで私を訪れる患者を診ることが非常に多い。前の著作で指摘した通り、抑うつは本人の思考に限らず、動作、食欲、呼吸、エネルギーの生産にも影響を及ぼす。
この病気を十分に理解するために、私は身体を観察することにしている。すると、次の行動を指図されるのを待っている、おとなしい子供のままの姿勢で立っている姿を発見することが非常に多い。この無意識の態度は体の中で構造化されることにより、パーソナリティに深くしみ込んでしまっている。私が患者にこの態度、構えの意味を指摘すると、彼らは一様に、親からはおとなしい子供とみなされていたという事実を認める。この手の「よい」子供達は大きくなると勤勉な労働者になるが、パーソナリティに根本的変化が起きないかぎりは、けっしてはつらつと生気をほとばしらせたり、優美な動きをすることはないであろう。
 
・・・この考えを私が体験した三例を挙げて説明してみよう。まず最初はオランダ人心理学者で、私が何年も前にエサレン研究所で行なったワークショップに参加した人だ。今ではもうバイオエナジェティックスでのきまった手順の一つになっているが、私はいつも相手の経験を理解するための手がかりを求めて体を観察することにしている。彼の体には異常な歪みが見られた。それは体の左側にある一五センチもの陥没である。これほどの陥没はそれまで見たことがなかったので、その意味合いが理解できなかった。




そこで陥没の発生について質問すると、彼が11歳の時、体の左側が少しへこむという形で始まったと言う。それから三年間、どんどんへこんで、ついに今のような状態になったということだった。日常生活に支障をきたすわけでもなく、医者には診せていなかった。彼が11歳の時、何か異常なことが起こらなかったか尋ねた。彼は母親が再婚し、自分が寄宿学校に人れられたと答えた。その言葉はグループの他の参加者には何ら印象を与えなかったようであるが、私には重要なことに思えた。彼の体の陥没の意味がすぐに分かったからである。それはあたかも手が力ずくで彼を傍らに押しのけているようだった。
 第二の例は、私の今までの経験上、もっとも肩幅の広い若者の症例。彼と話している時、肩が広いという事実をコメントすると、彼は父親について話し始め、父をとても尊敬していると話した。16歳の時、陸軍士官学校から帰宅すると、父が鏡の前で一緒に並んで立つよう促したことがあった。若者は自分が父と同じ背丈になり、これ以上背が仲ぴると父を見下すことになるという考えに襲われた。その日からというもの彼の身長は止まり、肩幅だけが広がっていった。成長のエネルギーが横に流れ、息子が父を越えるのを防いだということが私の目には明らかであった。
 三番目はきわめて長身の、6フィート3インチ(およそ190センチ)の青年の例。人生・生命との切断感を訴えていた。彼が言うには、歩いていても、脚の下部や足を感じず、一歩踏み出しても、いつ足の裏が地面につくのか分からないということだった。身長の伸びは14歳ごろ、かなり急に起きていた。彼の生活について尋ねると、そのころ父が両親の使っていた寝室から引っ越し、彼の部屋に入り込んで来たという。その結果、彼は屋根裏部屋で寝ざるをえなくなった。
 彼が言うには、「二階に蹴り上げられた」と感じたとのことである。
 これらの心の傷は、多くの人にとってはこのようにはっきりと体に目立つ歪みをもたらすほどに重いとは思われないかもしれない。しかし私の経験では、その人物が持つ感情の深さ、激しさが体の反応に表現されることは非常に多い。経験はすべて体に影響し、心の中に刻み込まれる。
その経験が快いものならば、健康、活力、体の優美さが高められる。ところが辛い体験についてはその反対のことが言える。外傷体験に対して適切な反応がとれる場合には影響は一時的なものかもしれない。体には自然治癒力があるからだ。ところが反応がブロックされると、外傷体験は慢性的筋緊張の形で体につめ跡を残すことになる。
 泣いては駄目と教え込まれた子供の場合を考えてみよう。泣きたい衝動が体に留る結果、何らかの手を打ってその表現がブロックされねばならなくなる。衝動を制御するために、泣くことに関わるすべての筋肉が収縮し、衝動が消え去るまで、収縮し続けなければならない。しかしこの衝動は消え去りはしない。代わりに体の奥深くに引きこもり、そこで無意識の中で生き続ける。
何年も後に、セラピーや強烈な人生体験をした時に再び動き始めることがあるが、それまでは関連のある筋肉群-この場合には、口、顎、のどの筋肉-は慢性的緊張状態にある。これがよく見られる問題だというのは、顎の緊張で苦しんでいる人が多いことからも明らかだ。これは、ひどくなるとTMJ(側頭下顎骨関節症候群)と呼ばれるものになる。
 休の中に慢性的筋緊張があれば、必ず自然な衝動が無意識のうちにブロックされる。肩の筋肉がひどく緊張し、収縮していた一人の男性が、頭の上に手を上げることができなかったというのはよく分かる例である。このブロックに示されているのは、親に手を上げてはいけないという抑制である。この男性に、今まで父親に怒りをぶちまけることができたかを尋ねると、一度もないと答えた。父親を殴るなど、父親にとってと同様、彼にも思いもよらないことだったのだ。しかしこの衝動を抑制した結果、彼の腕の中で自然で優美な動きが破壊されてしまった。
 数年前、日本に滞在中3歳位の子供が握りこぶしで母をたたいている姿を目撃した。その母親が子供を止めさせようとも、また何らかの仕方でやり返そうともしなかった事実に感銘を受けた。後になって、子供には六歳になってから社会生活のたしなみとして必要なコントロールを教えろということを知った。6歳まで子供は無邪気で善悪の判断ができない者と考えられている。
 子供の自我は6歳で、学習が恐怖ではなく欲望に基づいた意識活動であると分かるまでに発達する。この時点で親の行動を意識的に見習うことができるほどに成熟したとみなされる。きちんと学べない時には、暴力や愛情を控えるという形ではなく、子供自身が恥ずかしい思いをするという形で罰せられていく。学校教育もまた、普通この年齢から始まる。ところが我々の文化では、このブロセスをもっと早い時期に始める傾向が強い。子供達は6歳以前にも学習しているが、それはまったく自発的なものに限られる。6歳以前にあまりに多くの規則を押しつければ、子供の快活さ、自発性、気品を制限する働きしかしない。
 日本人や他の東洋の人々が子供を罪のない者とみなせる力は、自然への深い尊敬の念に根ざしている。自然および自分達自身と調和を保って生きていれば、子供達とも調和の下に生きることができる。他方、西洋人は自然を人間に従属させようとする。自然を搾取し、食いものにすれば、当然子供達にも同じことをしてしまうだろう。
 ところが、経済の工業化に伴い、東洋人もだんだん西洋化してきている。工業社会は力を基本にした社会で、まずは何かを行なうための力としてスタートするが、結果はコントロールするための力になって終わる。力によって人間と自然の関係は変化する。コントロールが調和にとって代わり、自然への尊敬は搾取に変わる。力を持つことと、同時に調和を保とうとすることは矛盾する考えだ。そのうち東洋の人々も、今西洋人を襲っている同種の感情の障害-不安、抑うつ、そして気品の喪失といった-に苦しむのは避けられないだろう。
 ・・・泣くという衝動が抑制されてしまっていては、いくら瞑想したところで泣くことはできないだろう。ヨーガのエクササイズをしたところで、権威を示す人物に対して怒っているのに手を上げることができない男の肩にある緊張を解放することは無理だ。瞑想やヨーガが有効でないと言っているのではない。人々の健康を積極的に増進する実践やエクササイズはたくさんある。例えばマッサージは快いとともに有益である。その他ダンス、水泳、散歩などは私も大いに勧めている。だが、品位/優美(グレイス)をとりもどすためには、それがどのように失われたかを知らなければならないのだ。煎じつめれば、これは分析的な取り組みになるだろう。
 
 人生のさまざまなプレッシャーに直面すると、人々は従来通りのやり方を通すことが死活問題だと信じ込む。疲労を感じると、これ以上戦い続けることができないのではないかという根深い恐怖が頭をもたげる。「私にはできない」と言うことに困難を覚える人がたくさんいる。子供の時に、意志さえあれば道はおのずから開けると教え込まれているために、「できない」と言うことは、負けを認めることになり、愛してもらう価値がない証拠とみなされるからである。
 やる気がなかったりエネルギーが低いのに活動が活発になるのには、もう一つ身体的理由もある。リラックスすることでエネルギーが補給できる反面、エネルギーが低すぎるとリラックスできない。筋肉の緊張を解放するにはエネルギーが必要だからである。この事実は一般にはあまり認められていないが、例を示して簡単に説明することができる。
 筋肉が収縮していれば、それだけでエネルギーが消耗されている。収縮した状態では、それ以上他のことができない。次の行動に移れるように筋肉を伸ばすには、筋肉の細胞の中でエネルギーが作り出される必要がある。このエネルギーの生産のためには、酸素が導入され、乳酸が除去されなければならない。・・・伸びた筋肉は、バネを引き伸ばした状態だと考えてもらえばよい。エネルギーが十分に備給された状態だ。何かをするために筋肉が収縮すると、短くなって、堅くなる。中のエネルギーが使い果たされると、バネはピンとはじける。筋肉はエネルギーの備給を増やすことによって回復し、リラックスする。するとバネは再び伸び、仕事をすることができるようになる。
 過労で、エネルギーが低くなると、入はすぐに興奮し、緊張しやすくなる。これは躁うつ病者において、うつに入る前ぶれとして、過剰興奮や行動が見られるのに似ている。この状態をもっとも端的に示してくれるのは、興奮しすぎて落ちつかない子供だ。疲れ切っているにもかかわらず、静かに横になったり、寝たりできないのである。ついに親は頭にきて子供をどなりつけたり、静かにさせようと体を揺するかもしれない。すると子供はワァーと泣き出すので、親は抱きしめてなだめる。子供は十分に泣くと眠りにおちる。泣くことに
は子供の呼吸が深まるという効果がある。それによってリラックスするだけのエネルギーが得られる。
 エネルギーの高い人は、そう簡単には興奮しすぎることがない。それというのも筋肉がゆるんでいるために、体には多量のエネルギーを備給できる能力があるからである。その結果、体の動きはゆっくりと気楽で、自然な美しさを見せる。馬力の大きな車が楽々と丘を登れるように、エネルギーのある人は最小限の努力で人生を渡っていく。緊急事態になって初めてともかく頑張って、精一杯やっている事実が露見するが、それでも十分余裕があるために、難なくこなしているように見えてしまう。
 体の他の側面もエネルギーの状態を反映している。おそらく、目ほど体がどれだけ生き生きしているかを示すものはないだろう。古くから目は心の窓と称されてきたが、目は体の窓でもある。
体の窓として目は個人の内面の炎をあらわにする。火が熱ければ炎は明るく、目から輝き出す。
例えば恋をしている人の目は明るく輝いて、エネルギーの高まりを示している。目はさらに、いろいろな感情をも表わす。嬉しいと目は輝き、幸せな時には目は燃え、落ち込めば目の光が消える。目は人生で非常に大切な役目を果たしているので、本書では後で一章をさいて説明するつもりだ。
・・・・・ガサガサで乾いた肌、あるいは冷たい肌も、血液循環とエネルギー・レベルの両方で障害があることを示唆している。これらの状態は感情面でも重要な意味を持つ。例えば恐怖時には、血液は体の表面から撤収され、皮膚は冷たく蒼白になり、時には死人のような冷たささえ見られる。恐怖のもう一つの兆候である鳥肌は、皮膚の弾性繊維が収縮し、その結果、毛包が立つ時に発生する。
 人の体は経験によって形作られる。触れたくなるような肌は、幼時に十分愛を込めて触れられている。愛を込めて触れられると、体は快く興奮した広がる反応を示す。このような愛情の込もった接触がないと赤ん坊の体は萎縮し、冷たくなる。興奮能力も減り、内部の脈動も減少する。健康人ではこの脈動は力強く一定しており、これに促されて彼は自分の周りのあらゆる人や物に手を伸ばして、愛情の込もった触れ合いを求めるようになる。このように愛にあふれた人間は今の文化の中ではめったに見られない。それというのもスピリチュアリティは、何かや誰かに手を伸ばして触れたいという体の衝動に生来備わっているのだが、そのことが今の文化では分からなくなってしまっているからだ。

呼吸は体の興奮状態と直接つながっている。リラックスして静かな時には呼吸はゆっくりと楽に行なわれるが、感情が高揚すると呼吸は早く、深くなる。恐怖を感じると突然激しく息を吸い込み、止めてしまう。緊張していると呼吸は浅くなるが、逆もまた真で、呼吸を深くすることで体はリラックスする。
 私は大学時代、予備役将校訓練部(ROTC)の候植生だった時に、緊張と呼吸の関係を初めて体験した。私は(射撃)訓練場で射撃の練習をしていた。ところがいくら頑張っても私の弾はいつも的のまん中をはずれてしまう。私の様子を観察していた一人の教官が三回深呼吸して、最後の呼吸に合わせて息を吐きながらゆっくりと引き金をしぼってはどうかと、ヒントを与えてくれた。
彼が言うには、私が息を止めているかぎり、体が緊張して手が震えるのだそうである。彼の考えが正しいことは、私の次の射撃で実証された。私はこの体験に感銘を受けたが、それに関してとり立てて研究することは何もしないままに、やがてライヒのセラピーを受けることになった。このセラピーの中で私は自分がしばしば息を止めていることに気づいたが、この傾向は呼吸に意識を集中することで消すことができた。呼吸に注意を集中することがいかに大切かは、歯の治療を受ける時に何度も体験させられた。歯医者の椅子に坐ると、私はできるだけリラックスしながら、楽に深く呼吸するように注意を集中する。歯医者が神経に触る非常に痛い場所を削っているのではないかぎり、簡単に痛みをこらえることができ、局所麻酔の必要がない。ライヒとのセラピーの後数年、私は自分の呼吸のワークをし続けた。まず自分の呼吸への気づきを深め、次に本章の後半で述べるバイオエナジェティックス療法の呼吸のエクササイズを行なった。これらのエクササイズが一般の呼吸法と違うところは、より自然で不随意な深呼吸を奨励する点である。このワークが私にとってどんなに価値があるかは、いくら強調してもしすぎることがない。私の健康は増進し生命力が強まり、あらゆるストレス状況下でも今までより自由に、そして楽に生活できるようになった。特に公衆の前で話す時に真価を発揮することが分かった。私は大勢の人々に話しかけても、緊張せずにすむようになったからである。
 自分の呼吸状態に気づくことは大切だ。鼻から呼吸しているか、それとも口で呼吸しているか、または息を止めていないかに気づくのである。ため息は貴重な手がかりになる。それというのも、ため息というのは無意識的に息を止めていることに対する反応だからだ。正常な呼吸では、その音を聞くことができ、このことは眠っている間は、もっとはっきりしてくる。ほとんど聞きとれないような息をしている人は、著しく呼吸を抑制している。
 ため息は呼気に関わっているが、これとは反対に、あくびは吸気に関わっている。あくびは疲れ、眠気の兆候で、エネルギーの補充が必要な時に発生する。これはまた、退屈していることのサインでもある。刺激的で興奮させるような状況下では、呼吸は深く、エネルギーは上昇する。
 子供や動物がしているような自然な呼吸では、体全体が関わっている。これは何も体中が積極的に関与するという意味ではないが、呼吸の波が伝わっていくことで体中が大なり小なり影響を受けるということである。息を吸い込むと、波は腹腔の奥から出て、頭の方へ昇って行く。逆に息を吐くと、波は頭から足へと伝わる。これらの波動は簡単に観察できるが、呼吸のどんな障害についても同様のことが言える。一般によく見られる障害は、へその位置、あるいは骨盤部で波がとどこおっている現象で、そうなると骨盤や腹腔深部が呼吸過程から排除されてしまい、その結果、呼吸が浅くなる。深い呼吸は腹腔下部の動きを引き起こし、息を吸い込むと、風船のようにふくれ、息を吐くとすぼむ。この考え方は混乱を招くように思われるかもしれない。というのは、空気は実際には腹腔に入り込まないからである。ところが深く息を吸い込むと腹腔の奥が広がるため、肺が下向きに、もっと楽にしかも完全に広がることができる。このようにすると、肺を最大限に拡張できるので、呼吸はなめらかでかつ深いものになる。幼い子供はみな、このように呼吸している。
 浅い呼吸では、呼吸運動は胸郭と横隔膜部に限定されている。横隔膜の下降運動が抑えられているために、肺は外に向かって広がらなければならない。堅固な胸郭を広げるには腹腔を広げる以上の力が必要で、体に無理がかかる。ではなぜ、大変な上に、努力の割には酸素の摂取が少ないこんな呼吸法が漫延しているのかという素朴な疑問が湧いても当然であろう。この問いには、呼吸と感情の関係を理解することで答えられる。
 深く呼吸するとは、とりもなおさず深く感じることである。腹腔郭に深く息を扱い込むと、そこが活性化する。つまり深く息をしないことで、私達は腹部と関連したある種の感情を抑制しているのである。そのーつが悲しみである。深い悲しみや苦しみの泣き叫びに腹部が関わっているからだ。このような泣き方を英語では“beHy(腹)cry(泣き)”という。この中には絶望にもつながる深い悲しみが潜んでいることが多い。子供達は人生の早い時期に、腹を引っ込め、緊張させることで、悲しみや傷心といった辛い感情を断ち切るすべを学んでしまう。
・・・どのような方法をとるにせよ、呼吸を深めて骨盤底にまで息が入るのが感じられると、悲しみやセクシュアリティといった抑圧されていた感情が活性化されるという効果がある。これらの感情を受け容れることができれば-特に体の深いところから泣くことができるとー、体全体が光輝くように生気をとりもどす。私は多くの患者でこのことを体験している。
 ・・・・・ 読者の方々は、私が呼吸で胸部を動かした時に叫び声があがったのを覚えているだろう。叫び声はのどに封じ込められていたが、母の敵意による痛みは胸に閉じ込められていたのだ。生き残るために私が抑圧しなければならなかったのは、母の愛を失った悲嘆の痛みであった。それというのも、離乳に抵抗して叫んだり泣いたりすれば、母は私に敵対したからである。そこで胸を動かなくすることにより、痛みを抑えることはできたが、その結果心臓に莫大なストレスをかけてしまった。私は無意識のうちに母に棄てられるという恐怖を抱え生きてきたわけだが、これを解放するには恐怖と対面し、自分の喪失に声をあげて泣くしかなかったのだ。
 ある感情の抑圧そのものが、その感情に対する恐怖を生み出しているという事実は、一般的には認められていない。それはもう見たくもない押人れの中の骸骨になる。長く隠しておけばおくほど、恐怖が強まる。ところがセラピーの中で押人れの扉が開かれ、つまりその感情が呼びさまされると、思っていたほどこわくないことが分かる。一つには私たちはもう無力な子供ではないという理由があげられる。大人になると、子供にはない自我の強さで感情に対処できるようになるのが普通なのだ。ところがこの自我の強さは、抑圧された感情に対処する際に利用できない。
それというのもこれらの感情は無意識の領域に属しているからである。抑圧された感情は、夜になると私達の想像力で恐ろしい姿に拡大される影のようなものである。
 もしあなたに感情を抑える傾向があり、泣くのが難しいとすれば、きっと何らかの呼吸障害があるにちがいない。感情を抑えるとは、とりもなおさず空気を抑え込むことで、胸は恐らくふくらみすぎているはずである。女性は男性に比べて自由に感情を表現するため-少なくとも簡単に泣けるー、呼吸はより自由であり、心臓発作も少なく平均寿命が長い。これは何も女性が感情問題を抱えていないとか、呼吸が完全に自然だということではない。タフで効率がよく、感情のコントロールができているということを重んじる男性の価値観を自分にあてはめている女性も男性と同じように傷つきやすく、ふくらんだ胸になる傾向がある。喫煙者は男女の別なく、特にこの状態にあることが多い。タバコはたいして酸素を体に送り込まなくとも、呼吸しているという感じを抱かせてくれる。酸素が入ると辛い感情が掘り起こされるのかもしれない。
・・・長く息を止めていないか?もしそうならば、十分に息を吐き出せないと同様、感情の表出でも問題があるかもしれない。
[PR]

by sadomago | 2005-10-22 18:22 | スピリチュアル・ヒーリング


<< 植物は考える      <からだ>の声を聞きなさい >>