2005年 10月 16日
14世ダライ・ラマ法王発見の経緯と輪廻転生制度
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
http://www.tibethouse.jp/

ダライ・ラマ法王と転生探し
14世ダライ・ラマ法王発見の経緯と輪廻転生制度

< 中略 >

ラモ・トゥンドゥプ少年の発見
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/hh_reincarnation.html#04

当時、チベットの交通手段は、馬、ロバ、ヤクに頼るのが普通だった。捜索隊一行がラサから東チベットのクンブム僧院に着くまで4カ月以上が経過していた。クンブム僧院に向かう途中、ケグドーに立ち寄り、レティン摂政からの手紙と贈り物をパンチェン・ラマに贈り、祝福を受けた。そしてこの時一行は、パンチェン・ラマから僧院近辺の3人の転生候補者の名前と特徴を告げられる。そして、クンブム僧院の周辺の環境は聖湖で見たのと酷似していたため、探していた場所はこの付近に間違いないと思うのであった。
当時、国民党政府はその一帯を中国人省長の馬歩青という人物に任せていた。一行は馬歩青のもとへ伺い、新しいダライ・ラマ法王の転生者を探すためにチベット各地域に代表団を派遣していること、自分達がアムドへ派遣された一行であることなどを伝え、援助と協力を頼んだ。
パンチェン・ラマから告げられた三人の候補者の一人に現ダライ・ラマ、ラモ・トゥンドゥプ少年がいた。タクツェル村のラモ少年宅を初めて訪れた様子は以下の通りである。

高僧のケゥツァン・リンポチェは、ロックパという羊の毛皮で作った着物を着用して召使の格好、秘書のロサン・ツェワンは隊長の格好である。一行はラモ少年の母親に自分たちが旅の途中で今夜泊めて欲しい旨を伝えた。母親は身なりのいいロサン・ツェワンを丁寧に応接間へ案内、みすぼらしい格好のケゥツァン・リンポチェを台所へ案内した。この時、3歳にも満たないラモ少年は、台所に来て一行をじっと見つめていた。ケゥツァン・リンポチェが首に巻いていた数珠を触ってマントラの「マニ、マニ」を唱え、さらに欲しいとせがんだ。その数珠はダライ・ラマ13世のものだった・・・。ケゥツァン・リンポチェはラモ少年に「私が誰か解ればあげよう」と言ったところ、ラモ少年は「セラのアカ(この地方の方言では僧侶のことをアカという)」と答えた。そしてさらに「中にいるのは誰だ」と聞くと、「ロサン」と答えたのである。ケゥツァン・リンポチェは、嬉しさのあまり目一杯涙ぐみ、自分の首にかけてあった数珠を取ってラモ少年の首にかけた。ラモ少年は嬉しそうな笑顔を見せながら再び「マニ、マニ」と唱えた。ケゥツァン・リンポチェは、言葉では表せないほど感無量な気持ちになり、ラモ少年を見つめた。翌朝、一行が出発する時、 ラモ少年も一緒に行きたいと泣き出した。ケゥツァン・リンポチェは、ラモ少年に近いうち戻ってくると約束した。

◆ 少年との再会、そして14世の即位へ





 ケゥツァン・リンポチェは、チベット仏教の暦を参考に再訪の日を選んだ。チベットでは何もかも仏教中心に考える風習があるため、このような場合、大安や吉日の縁日を優先する。ケゥツァン・リンポチェ一行は、早朝から吉祥天母(パルデン・ハモ)の前で特別供養をして出発した。クンブム僧院では、朝の勤行を呼び出す法螺貝が鳴っていた。チベットでは、牛乳、ヨーグルトや水を器いっぱいに持っている人たちに道で出会うのは吉兆とされる。近道をして山に登ると真下にタクツェル村の全景が見え、ラモ少年の家もあった。その風景を見た瞬間、ケゥツァン・リンポチェは、聖湖で見た幻影と酷似していることに改めて驚きを禁じ得なかった。
ケゥツァン・リンポチェは、今回は自分の僧衣をまとい、随行員の方々もそれぞれの地位の服装に着替えていた。ラモ少年の母親は一行を暖かく迎えバター茶を注いだ。そして、ケゥツァン・リンポチェは、「お宅のお子さんは特別な徴があるようなので、少し質問してよろしいか」と訪ねた。母親は、誰かの転生者の認定に来たのだろうと思い、「どうぞご自由に」と答えた。

一行は、ダライ・ラマ13世の遺品をテーブルの上に並べた。まず、非常に似た黒い数珠を二つ並べたところ、ラモ少年は13世の数珠を迷い無く手に取った。その後も13世の黄色数珠、付き添いを呼ぶ時に使った太鼓などを当てた。本物でないほうが魅力的な飾りがあって子供心をくすぶるものであったにもかかわらず、ラモ少年は次々と本物を言い当てた。最後に二本の杖を見せたところ、ラモ少年は初め間違った杖を手に取り、杖をついて歩く真似をしたが、しばらくその杖を眺めた後、本物を手に取った。それはなぜか。最初、手に取った杖も一時期、ダライ・ラマ13世が使ったもので他の高僧にあげたものだったからである。一行は結果に驚愕しながら互いに顔を見合わせ、ラモ少年こそダライ・ラマ13世の転生者に間違いないと確信したのであった。

さらにラモ少年の両親に、ラモ少年の誕生前後に何か特別な兆候はなかったかを尋ねた。誕生前、タクツェル村では家畜が原因不明で死んだり不作が続いたが、これは何か偉い化身が生まれる徴に違いないという噂が村民の間で流れたという。誕生後、寝たきりのラモ少年の父親が急に元気になったという。ケゥツァン・リンポチェは、ダライ・ラマ13世が中国からの帰りの途中に立ち寄ったタクツェル村を美しい場所だと言ったことを思い出した。

こうして一行は、1935年7月6日生まれのラモ少年をダライ・ラマ13世の生まれ変わりと確認するに至る詳しい内容を電報で報告した。一行は一日も早く 14世がラサへ出発することを望んだが、中国人省長馬歩青は出発に関して中国銀貨十万枚の身代金を要求、さらに中国銀貨三十万枚を要求してきた。一行にそのような大金はなく、チベット政府に緊急連絡し金額を用意してもらうしかなかった。しかもどこで秘密が漏れたのか、事態を聞きつけた人々がラモ少年を一目見ようとやって来たりして、一行の焦りはさらに募った。これ以上出発を長引かせてはならないと判断、一行は不足金をラサで返済することにし、一行の高官一人が人質として残った。

 ラモ少年と一行は、アムドを出発して四カ月近くかけてチベットの首都ラサに到着した。仏教占星術に基づき、1940年1月14日、ポタラ宮殿で即位式が執り行われた。

◆ ダライ・ラマが語る「ダライ・ラマ制度の未来」

67歳のダライ・ラマ法王は、現在北インドのダラムサラに住んでいる。次のダライ・ラマの転生者探しについて、法王自ら次のように述べている。

「チベット仏教文化の伝統に従えば、ダライ・ラマや高僧の転生者探しは、宗教関係の行事であり、政治とは何の関係もない。特に仏教の教えを否定している者にとっては、転生者探しに何の関係もなければ、それについて議論する権利もない。転生者探しは、職員や委員を選出したりすることと異なる。高僧の化身は、常に全ての生きとし生けるもののためになるように考えて生まれくるので、生まれる場所、父母と家系などが重要となる。これはチベット仏教文化の特徴である。
 もし、チベットの人々がダライ・ラマの転生者が必要であるなら、私の転生者は、中国支配下のチベット国内ではなく、平和な世界のどこかの国に生まれると断言する。それは、前生がやり残した仕事を引継ぎ成就するために転生者は生まれ変わるとチベット人が信じているからである。前生がやり残した仕事を邪魔したり破壊したりするために生まれ変わる転生者はいない。もし、転生者がやり残した仕事を継承できない国に生まれたら、転生者として生まれ変わる意味がない。つまり、私の転生者を必要とするかどうかを最終判断する権利は、チベット国民にある」

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by sadomago | 2005-10-16 16:45 | 過去生・未来世・転生


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