2005年 07月 29日
ジェイコブ・リバーマン(2)
「近視は治る」 ジェイコブ・リバーマン 
日本教文社

P27~

主治医は眼鏡を処方してくれたが、母親はかけさせるべきかどうか迷っていた。
私は問診の時、少年に、谷間の向こうのはるか遠くの山並みを見てごらんといった。
「どんなふうに見える?」と尋ねると、「よく見えるよ。チャートのあの文字が読めないだけなんだ!」という答えが返ってきた。


P79~

私の視力がどうして広がったのか、全くわからなかった。その後、実は視力が一箇所から生じるのではないとわかるまでに数年かかった。
見る能力は心身のすべてにわたって、もっと広く存在しているのである。
フランスの作家・哲学者でレジスタンスの闘士でもあり、幼児期の事故で全盲となったジャック・リセイランも同じような体験をしている。
彼は事故の直後、完全に両目がつぶれたにもかかわらず見えることに気付いた。
彼は自伝『そして光があった And There Was Lihgt』の中で、包帯をはずした直後に起こったことを次のように述べている。

盲目とは見えないことだと・・・・まわりの人は言う。けれども、自分が実際に見えているときに、どうして彼らの言うことが信じられよう?
すぐには無理だ・・・・その時でもまだ自分の眼を使いたかったのだ。それで私は、これまでどおりの眼の動きにしたがった。・・・
ある日とうとう・・・・・わかった。見方が悪かったのだ・・・・
とんでもないことをしでかしていたのだ・・・自分のほうを合わせようともしないで、眼鏡だけ取りかえる人がしでかすような間違いを。
対象からかなり外れたところを見たり、表面ばかりを見つめすぎたり・・・私はもっと仔細に見ることにした。その対象をでは無く、自分の身の回りを。・・・
盲目にもかかわらず、私には光が見えた。そしてそれを見つづけた・・・私には不思議なことではない・・・現実だ。
目の見える人が見ているという事実を否定できないのと同じように、私もその事実を否定できない。
 

Copyright(C) 1995 by Jacob Liberman
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by sadomago | 2005-07-29 07:16 | 心と視力・光療法


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