2009年 04月 09日
日本語はなぜ美しいのか(1)
日本語はなぜ美しいのか
集英社新書0374E
2007年1月22日 第1刷発行
2007年6月19日 第5刷発行
著者:黒川伊保子(くろかわいほこ)
発行所:株式会社集英社

母音と身体性P156~

 心を無防備にする母音には、もう一つ、身体性と深く結びついているという特徴がある。
 先に述べたが、渋谷のセンター街で、夜に、家にいるはずの妻の姿を見かけたら、誰でも「あっ」と驚いて立ち止まるだろう。
 このとき、身体は、脳天から吊られたような状態になって、余分な力がどこにも入っていない、完璧なニュートラル・バランスだ。ダンスでは、このニュートラル・バランスを厳しく要求されるが、実際、ワルツのレッスンのときにはなかなかこのバランスはとれないものである。なのに、「深夜の渋谷で妻と遭遇したら」、ワルツのターンなんて考えられないような姿勢の悪いおじさまでも、すっと背筋が伸びる。これが、口腔部を高々と上げる「あっ」の威力である。
 口腔部は、すぐ後ろの小脳に身体感覚を直接に伝える。このため、入力情報はかなり大々的に伝わるのだ。足なら1センチなんて誤差の範囲だが、口腔部の1センチは大きい。銜(くわ)えるタバコの直径が今よりーセンチ太くなったら、まるで丸太を銜えたように感じるはずである。
 さて、渋谷で妻を見かけた夫の話である。夫婦関係が健全なら、夫は妻に近づいて声をかけようとするだろう。



 このとき、「あっ」で吊られたようになっている身体の呪縛をほどくには、ほっと力を抜くオと、前に出るイの組合せ「おい」が一番効く。出だしの瞬発力が要求されるシーンなら、「いけっ」もいい。しかしまあ、容疑者を見つけた刑事じゃないんだから、ふつうは「おい」だろう。「おい、きみ」でi音を追加するとさらに身体が前に出て、歩くのが楽である。
しかし、妻の隣に若い男がいたら、夫は「えっ」とのけぞって、再び立ち止まるに違いない。
 エは、発音点が前方にありながら、舌を平たくして、下奥に引き込むようにして出す音だ。このため、「広々と遠大な距離感」を感じさせ、前へ出ようとしたのに、何かのトラブルでのけぞる感覚に最もよく似合う。
 面白いことに、子どもたちは素直に「学校行く」と言うのに、PTAのお母さんたちはちょっと引けた腰で「学校行く」と言う。学校への概念距離の遠さがそうさせるのだろう。
 エは、遠慮とエレガントのエ、舌を下奥に引く感じが、身を低くして退く感じを作り出して奥ゆかしいので、昔は、女性名の語尾によく使われた。今の親たちは、娘にそんな教養深い名前をつけようとも思わないらしい。あっけらかんのアと、イケイケのイが多いのが12世紀の少女たちの名前の特徴だ。
 さて、渋谷の妻の話に戻る。妻の隣にいたのが、最近とみに背が伸びた自分の息子だったら、夫は再び「おいおい」と言いながら、ふたりに近づくはずだ。この場合の「おい」は、ほどけるオのほうにアクセントがある。妻を呼び止めようとした、最初の「お」とはニュアンスが違う。

  ほっとした思いも手伝って、「おまえたち、こんな時間にこんなところで、何、遊んでるんだ?とちょっと偉そうに声をかけて、「あなたこそ、残業じゃなかったの?」と言い返れたら、出す声は、「うっ」しかない。受身で痛みに耐えるときのウである。
 この、「あっ」「お」「えっ」「い」「う」のアイウエオ、身体感覚と密接に結びついているのがおわかりになっていただけただろうか。ニュートラル・バランスのア、前にぐっと出るイ、受け止めるウ、退くエ、包み込むオ。これは、とりもなおさず口腔内の出来事である。

<中略>

心を開く会話
 さて、このように、自然体で素朴、しかも身体性と密接に結びついている母音は、会話で上手に使うと、相手の心を開くことができる。
 たとえば、あいづちを打つとき、単に「そう」と言うより、「ああ、そうなの」「いいね、そうだよね」「うんうん、そうそう」「えっ、そうなの?」「お、そうかい?」などと、母音と一緒に言ってあげると、相手は、あいづちの本人をずっと近くに、親密に感じる。
 部下や子ども、異性と接するとき、相手の本音を聞きたいと恩ったら、母音のあいづちはよく効くので、覚えておくといいと思う。
 さらに、「おはよう」「お疲れさま」「ありがとう」など、母音の挨拶を心がけると、ギスギスした職場に連帯感が生まれる。凍りついた夫婦関係がゆるむ(こともある)。
 逆に、心が開くと、自然に母音のことばが増えてくる。デートの最後に、「楽しかった」と言われたのなら合格すれすれ、「嬉しかった」と言われたら大成功である。「イヤ」と言われたらもう一押ししてもいいけど、「ムリ」と言われたら引き下がったほうがいい。

甘えさせない会話

 人間関係の中では、ときには、相手と距離をとりたいこともある。踏み込ませない、甘えさせない会話を作るときは、子音の強く響くことばを使うことだ。
 日本語は、すべての拍に母音がもれなくついている(拍は日本語の発音最小単位。カナ一文字にあたる)。このため、基本的には心を開き合うことばが多いのだが、その中でも中国由来のことば、すなわち音読みの熟語は子音が多く、強く響く。
 たとえば、仕事で同席した女性に、ご一緒できて嬉しかった。ありがとうございまし
た」と言われるのと、「ご臨席いただき、光栄でした。感謝いたしております」と言われるのでは、ずいぶん雰囲気が違うはずである。
「嬉しかった、ありがとう、さようなら」と「光栄でした、感謝します、失礼します」では、心の距離がかなり違う。前者なら「帰りにお茶でも」と誘えても、後者だとつけ入る隙がない。下手すれば、別れの挨拶を差し挟む余裕もない。
 生徒に「みんな、がんばろう」と言うより、「諸君、目標達成だ」と言ったほうが、子どもたちの背筋が伸びる。部下も同じことである。また、「だめよ」と言うより「失礼よ」と言ったほうが、セクハラ男を退けられる。
 そういえば、昔、ある顧客先の社長にクレームをつけられて、「失礼しました」と頭を下げたら、「失礼しました、ということばが失礼だ。きみは、私を拒絶している」と憤慨されたことがある。
 最初のクレームというのが、「きみは、T部長の言うことばかりニコニコ聞いて、私の意見のときには笑顔が消える。Tは私の部下だぞ、不愉快だ」と注意されたのだ。接待の酒席上ならいざしらず、正式な戦略会議の席である。はっきりいって、めちゃくちゃなセクハラ&パワハラ発言だ,私は、このクレームを突き放そうとして「それは、失礼しました」と言ったので、相手の憤慨は意図どおりだったことになる。このため、この「きみは、私を拒絶している」には、うっかり「はい」と答えてしまった。契約は当然、即刻打ち切りである。
 この社長は、このとき、「最近の女性は、みな、『失礼しました』とあやまる。昔は、こんなあやまり方はなかった。おかしな日本語だ。きみのようなことばの専門家が、こんな間違った使い方をするとは残念だ」とも言っていた。おそらく、そうあやまったどの女性も、この社長を心で拒絶していたのに違いない。
 考えてみれば、この社長はことばには繊細な方だったといえる。女性たちの「失礼しました」が暗黙の拒絶だと、ちゃんとお感じになったのである。経営者としては、けっして悪くないセンスだ。できることなら、もう一歩繊細になって、「社長に向かって拒絶するとは何事だ!」と憤慨する前に、拒絶される自分をちょっとだけ反省してくれればよかったのに。

母音語と子音語
 この世のことばの音を、母音と子音に分けたとき、忘れてはならないことがある。何度も述べるが、それは日本語が、母音を主体に音声認識をする言語である、ということだ。
 日本語では、ことばの音の最小認識単位は、カナ一文字にあたる。カキクケコKaKiKukekoのように子音一音+母音一音、あるいは単母音で構成されている。これら一音一音を成り立たせているのは、母音の存在感である。
 また、日本語のリズムは、一つの発音単位を一拍として、「タタタ、タタタタ、タタタタ」のように、まるで手拍子のように几帳面に構成されている。俳句の五七五、短歌の五七五七七も、拍という発音単位があるからこそ生まれた文化だ。
 母音一音を基調にした「拍」で、几帳面にリズムを打つ日本語では、母音を頼りに音声認識すれば、音声全体の骨格が浮かび上がってくる。
 たとえば、クロカワイホコは、母音の流れ、ウ・オ・ア・ア・イ‘オ・オによって、全体の音声骨格がつかめるのだ。K(クッ)、R(ール)、K(クッ)、W(ゥオ)……と、子音だけ発音しても、クロカワができ上がるとは、日本人には誰も予想もつかない。しかし、「私の名前は、母音だけで言うとウ・オ・ア・ア、さあ当ててみて」と言えば、「ムロヤマ? ツノヤマ? あ、クロサワ?」などと、たいていは、五サンプル以内で正解に近づいてくれる。

 日本人にとっては、ごく自然な、この母音骨格による音声認識方式。しかしながら、世界の多くの言語は、この方式では音声認識されていないのである。
 英語では、シラブルと呼ばれる子音から子音への一渡りが、最小の音声認識単位である。前にも書いたが、日本人がク・リ・ス・マ・スと五拍で認識するChristmasは、英語人はChrist+masの2シラブルで聴き取っている。
 日本人はChristmasを、あくまでもウ・イ・ウ・ア・ウの母音骨格で聴き取ろうとする。相手がそう発音しなくても、脳が勝手にそう聴いてしまうくらいに、音声認識方式というのは揺るがない機構なのである。
 また、そう聴くということは、そうしゃべってしまうということに他ならない。日本人はかなり気をつけても、Christmasに余分な母音を差し挟んでしまう。
一方、英読人はChristmasをChrist+masで聴き取るわけだが、この際の真ん中の母音iとaはほとんど意識されない。省かれても、意味を解釈するのにはほとんど支障がないくらいだ。ただし、母音には音響効果があるので、省くとボリュームが上がらず、静かな場所でしか通じないという難点はあるのだが。
 Coffeeも、静かなところなら「ク、フィ」で通じる。日本なら、ザワザワした場所で「オーイー」と言うと「コーヒーですね」と解釈してもらえる。
 つまり、ことばの音を、母音と子音に分類できるように、世界の言語は、母音骨格で音声認識をする「母音語」族と、子音骨格で音声認識をする「子音語」族の二種類に分けられるのだ。

日本人の脳
母音骨格の音声認識をする日本人は、当然、母音を言語脳(左脳)で聴いている。
 ところが、欧米各国語やアジア各国語の使い手たちは、母音を言語脳では聴いていないのである。右脳で、「音響効果音」としてぼんやりと聴いている。
 このことは、すでに39年近く前、東京医科歯科大学の角田忠信博士が著書『日本人の脳』で明らかにされている。
 角田先生によると、日本人と同じように母音を左脳で聴いていると判断できるのは、現在、ポリネシアン語族のみ。ポリネシア語、ハワイ語などを含む、南太平洋諸国のことば群である、ということであった。
 ぼんやりと聴いていれば、日本の方言の一つのように聞こえる韓国語なのに、朝鮮半島の人たちは、欧米と同じ、母音を右脳で聴く民族なのだそうだ。

 ところで、上から読んでも下から読んでもシンブンシ、のような回文が作れるのは、日本語の特徴の一つである。英語では、Coffeeを逆から読んだらEeffoc、先頭に母音二文字というのは英語では尋常ではないが、無理をして読めばイーフォックだろうか。Christmasの逆のSamtsirhcはちょっと読めない。
 しかし、ポリネシア語族のことばたちも、素直に逆読みができるそうである。すなわち、ホノルルはルルノホなのである。これは、すべての音声単位が、母音を主体にした拍だか このことは、すでに39年近く前、東京医科歯科大学の角田忠信博士が著書『日本人の脳』で明らかにされている。
 角田先生によると、日本人と同じように母音を左脳で聴いていると判断できるのは、現在、ポリネシアン語族のみ。ポリネシア語、ハワイ語などを含む、南太平洋諸国のことば群である、ということであった。
 ぼんやりと聴いていれば、日本の方言の一つのように聞こえる韓国語なのに、朝鮮半島の人たちは、欧米と同じ、母音を右脳で聴く民族なのだそうだ。

 ところで、上から読んでも下から読んでもシンブンシ、のような回文が作れるのは、日本語の特徴の一つである。英語では、Coffeeを逆から読んだらEeffoc、先頭に母音二文字というのは英語では尋常ではないが、無理をして読めばイーフォックだろうか。Christmasの逆のSamtsirhcはちょっと読めない。
 しかし、ポリネシア語族のことばたちも、素直に逆読みができるそうである。すなわち、ホノルルはルルノホなのである。これは、すべての音声単位が、母音を主体にした拍だからに他ならない。おかげで、ハワイアンソングは、日本人にはとても歌いやすい。
 日本語には、その構文の成り立ちなどから、大陸から渡ってきたとする説が有力だが、私にはどうにもピントこない。音声認識は、耳や脳の生理的な機構にまで根ざしている。これが違うというのは、何かが決定的に違うと思えてならないのだ。

日本語はなぜ美しいのか(2) 
へ続く
http://sadomago.exblog.jp/10693768/
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by sadomago | 2009-04-09 13:51 | 音楽と生命とリズム


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