2009年 01月 10日
日本人が知らない日本人の遺産
日本人が知らない日本人の遺産
 著者 黄 文雄(こう ぶんゆう)
2005年6月10日 第一刷
青春出版社

6章 外国人が憧れる日本人の真心とは




P263 L8~

古代日本人の真心を知る
 
 古代、いや太古の日本人は、善悪よりも清浄やハレ、ケガレを気にし、仏教の無記、業報に近い考えをもっていた。
 神の心には、荒ぷる心と和やかな心との二面がある。それを荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)という。大自然を破壊するのが荒魂、大自然をつくったのは和魂で、神はこの二つの性格を兼ね備えている。
 だから、古代日本人は、儒教渡来以前はきわめて直情にして純情、あらゆる事物に対して、ひたすら没我的に真心で疾走するのみだった。恋にしても、戦闘にしても、善悪はつねに彼岸に置き、人間の真心、清き明き心に価値を置いていた。
 しかし、強烈な勧善懲悪である儒教思想が入ってくると、日本人も漢心(からごころ)の影響を受け、怨恨、憎悪の心が激しくなり、漢心としての闘争心もいっそう強くなっていく。
 古代ギリシャの神々の闘いとは違って、神代の時代の日本の神々は善神も悪神もない。スサノオノミコトは決して悪神ではないし、オオクニヌシノミコトに対する八十神(やそがみ)たちも、ただ意地悪な神というだけであって、悪の原理をなす神ではない。自然は人間に恵みを与え、災禍をももたらす。日本の神々は、そういう存在だ。
 今日のように科学技術が発達し、合理主義的精神が普及、浸透していてもなお、日本人は不可解にして非合理的な祭りが好きである。おそらくは、日本人の無意識の深層に、先祖以来の「ハレ」と「ケ」の意識が存在しているからだろう。いかに生活が豊かになっても、そのハレとケが生活のリズムとして守られている。
 日本人にとっては、ハレとケは並列するものではない。ハレを根としてケの幹や枝が生え出ている関係だ。生活暦のうえでは、ハレの日とケの日が隣りあっている。ハレとケは同一次元のものだから、同じ人間が、今日は晴れ着を着て祭りに出かけ、明日はまた普段着で農作業をする、あるいは喪服を着て葬式でお線香をあげるのだという。
 古代日本人は、柔和な心や優しい心を尊んだ。自然にしたがい、自然のリズムを自らの魂に宿らせ、自然と一体になって共生していた。それが、古代から変わりなく尊ばれてきた日本人の心である。


「花咲かじいさん」が語る正直の心

 世間ではよく「正直者がバカを見る」などというが、昔話ではたいてい、欲張りな人や意地悪な人が、その行動なりの報いを受ける。日本人なら誰でも知っている[花咲かじいさん」でも同じ展開が見られる。少しストーリーの流れを詳しく追ってみることにする。
 昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが、がわいい子犬と一緒に住んでいた。おじいさんは心の真っ直ぐな優しい人だったので、村人たちはみんな「正直じいさん」と呼んでいた。
 ある日のこと、子犬が裏の畑でおじいさんの目を見ながら「わんわん」とほえた。前足で地面をかいていて、まるで「ここを掘ってください」といっているようだった。おじいさんは「よしよし」と子犬に優しく声をかけると、そこを掘ってみた。すると、大判小判がざくざく出てきたのだった。
 この様子を、隣の意地悪じいさんが見ていた。意地悪じいさんは正直じいさんのところにやってくると、「ちょっとその子犬を貸してくれんかね」といって、嫌がる子犬を無理やり引きずっていってしまった。
 ところが、意地悪じいさんはいつまでたっても子犬を返してくれない。正直じいさんは心配になって、隣に様子を見にいった。すると、冷たくなった子犬が横たわっていた。
「どうしてこんなことを」とたずねる正直じいさんに、意地悪じいさんは悪ひれる様子もなく、「こいつがほえたところを掘ってみたら、瓦のかけらしか出てこなかりたから、殺してやったんだ」と答えた。
 正直じいさんは泣きながら子犬を抱いて帰ると、亡骸を裏の畑に埋め、その幕に小さな木を一本植えてやった。
 翌朝見てみると、何と昨日植えたばかりの小さな木が、見事な大木に成長していた。正直じいさんは、その木を切り倒し臼をつくった。そして、「この臼で餅をついて子犬の墓にそなえてやろう」と思いついた。
 正直じいさんが餅をついてみたら、何と、杵をふりおろすたびに、大判小判がちゃりんちゃりんと湧き出てきた。
 それを見た意地悪じいさんは、また正直じいさんのところにやってきて、「臼を貸してくれ」というと、臼をもっていってしまった。
 なかなか返してくれないので、正直じいさんか様子を見にいくと、意地悪じいさんは火をたいているところだった。そして、「臼を返してほしい」という正直じいさんに、「あの臼で餅をついても、瓦のかけらしか出てこないから、腹がたって燃やしてしまった」といったのだった。
 正直じいさんは、「子犬がくれた臼だから、せめて灰を墓に撒(ま)いてやろう」と思って、意地悪じいさんのところから灰をもち帰った。
ところが、途中で突然強い風が吹いてきて、灰が飛ばされてしまった。そしてその灰をあびた木の枝には、冬だというのに桜が満開になったのである。
 そのときちょうど、村のそぱを殿様の行列が通りかかった。
 正直じいさんは、きれいな満開の桜を殿様にも見てもらおうと、「枯れ木に花を咲かせましょう」といいながら灰をまいた。あたりじゅうの桜がみるみる満開になって、殿様も大喜び。正直じいさんに、たくさんの褒美を取らせた。
 これを見てまたまた真似した意地悪じいさん。「枯れ木に花を咲かせましょう」と灰を撒いたところ、桜が咲くどころか、殿様の目や鼻に灰が入ってしまって大騒ぎ。とうとう牢屋にひかれていってしまったのだった。
「花咲かじいさん」も、典型的な「善因楽果、悪因苦果」の物語だ。

本居宣長が説いた日本の美風とは

 国学四大人の一人で儒教を痛烈に批判した本居官長は、人間の徳性にかんして、「教育は必要だが儒数的な作為の徳育には反対」という立場をとる。
「いはゆる仁義礼譲孝悌忠信のたぐひ、皆人の必すあるべきわざなれば、あるべき限りは教へをからざれども、おのづからよく知りてなす」
「礼義忠孝等のたぐひも、これらと同じ事にて、人のあるべき限は、必しも教をかざれ共、おのづからよく知てする事なるを、かの儒仏の類の教は、人のあるべき限りあらず、同じ礼義忠孝などのたぐひも、あるべき限を過たるしわざなる故に、しひてこれを教へんとはするなり」
 作為的教育ではなく、本能流露の教育が必要である、神の道のままに表れる人間の先天的な徳性の発露を認識すべきだと考えている。
 宜長は、人間は古代にまで遡れば真心であるという。何ものにも汚されていない。しかもそれは、あるがままの心であるから、智、愚、巧、拙、善、悪など、いろいろな心がある。それが生まれるままの心である。
 そのような古代の人間の純粋な心を奪ったのが儒教であり仏教であると、宜長は考えた。日本の国に漢書が入ってきて以来、日本人の考え方は次第に漢化し、奈良時代には完全に漢の考え方に汚染されてしまった。
 漢意(からごころ)にある形式主義が、人間を虚飾偽善へと導くのである。
 宜長は、人間に対して善悪是非を説き、ものの「理」を説く不当を指摘している。
「漢意とは、漢国のふりを好み、かの国をたふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、万の事の善悪是非を論ひ(あげつらひ)、物の理をさだめふたぐい、すべてみな漢籍(からぶみ)の趣なるをいふ也、さるはからぶみをよみたる人のみ、然るにはあるず、書といふ物一つも見たることなき者までも、同じこと也、そもからぶみをよまぬ人は、さる心にはあるまじきわざなれども、何わざも漢国をよしとして、かれをまねぶ世のならひ、千年にもあまりぬれば、おのづからその意(こころ)世ノ中にゆきわたりて、人の心の底にそみつきて、つねの地となれる故に、我はからごころもたらずと思ひ、これはから意にあらず、当然理也と思ふことも、なほ漢意をはなれがたきならひぞかし」
 「玉勝間」に出ている、よく知られる宣長の漢意批判である。官長は古代人の生活のありようを、「記紀」や「万葉集」「源氏物語」などの古典から見出した。そして儒仏の経典を教戒の書、牽強付会の説として、古代人の真心を説く。
「語にかかはらず、義理をのみ旨とするは、異国の儒仏などの教誠をかきあらはし、はた物の理などを論へることなどは、つゆぱかりもなくてただ古へを記せる語の外には何の隠れたる意をも理をも、こめたるものにあらず〔語の外に教誠をこめたりといふは、なほ漢にへつらへるものなり〕」(『古事記伝』)
 官長は、儒仏の「理」の教誠よりも「語」の「真言」のほうを人情とし、「漢意」よりも「和心」を大事にすべきだとしているのだ。「誠」の道よりも「誠」の神の道を尊び、それが日本の美風と説いたのだ。
 官長は、和歌は善悪を超越する至高の価値だと考えている。このように考えるのは官長だけではない。西行にいたっては、和歌こそ日本の真言陀羅尼(だらに)であるといい切っている。
「日本の和歌も、よのつねの詞なれども、和歌にもちゐて思をのぶれば、必感あり、まして仏法の心ふくめらんは、無疑陀羅尼なるべし」(『沙石抄』五「倭歌の道ふかき理あること」)
空海は「和歌はこれ陀羅尼なり」といい、呪力をもつ真言とも考えていた。
 西行は「和歌即陀羅尼」といっているが、この陀羅尼とは真言陀羅尼だ。密教では真言、すなわち特別な言語それ自体が真理の表現、真そのものであり、広く絶対的な存在の顕現であるとしている。西行が「和歌常に心澄むゆゑに、悪念なくて、後世を思ふもその心進む」(『西行上人談抄』という由である。
 日本人は、芸術としての歌と宗教としての歌とをはっきり区別することはしない。むしろ、歌を信仰にいたる深化、高揚ととらえ、歌をもって日本人の生き方を表現する。
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by sadomago | 2009-01-10 14:58 | 神話・古代史


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